政党の助成、見直し必要 元防衛庁長官・元農相 玉沢徳一郎氏<小選挙区制25年>

[たまざわ・とくいちろう]岩手県田老町(現宮古市)出身。早大大学院修了。1976年、中選挙区の衆院選岩手1区で初当選。小選挙区導入後は、旧1区と旧4区に立候補し、比例東北で3回、復活当選した。通算9期。清和会(現・細田派)に所属し、防衛庁長官や農相を務めた。2009年に政界引退。盛岡市在住。83歳。

 金権政治の打破を目的とし、政権交代可能な二大政党制を見据え、導入から25年が経過した小選挙区比例代表並立制が生み出したものは何だったのか。中選挙区時代から東北の地盤などで衆院選を戦った5氏に、小選挙区の功罪と現在の政治状況に対する受け止めなどを聞いた。

 -小選挙区では議席を得ることができなかった。

 「導入後初の選挙で、新進党新人の達増拓也氏(現岩手県知事)と戦った。中選挙区時代に激しく争った旧社会党の支持者を中心に『敵意』を持たれたのかもしれない。小選挙区で敗れ、比例で復活当選した」

 「現職の農相だった2回目の選挙は比例復活もできなかった。盛岡を中心とした旧岩手1区は反自民の空気が強く、農相として米価引き下げなどに携わったため、波風があった。小沢一郎氏の地盤の旧岩手4区でも2回立候補したが、小選挙区では勝てなかった」

 -中選挙区の利点は。

 「中選挙区の岩手1区は4人が当選できた。有権者が家庭内で、お年寄りは鈴木善幸元首相(故人)に、若い人は自分に投票するというすみ分けをしてくれるような『優しさ』があった」

 「選挙の核となる政策を一生懸命に学んでいたので、専門家が育った。国防や農業に関心があり、議員時代は午前8時からの自民党部会に出て議論に参加した。それが防衛庁長官や農相就任につながった」

 -かつては派閥の存在が大きかった。

 「党があってないようなものだった。『派閥は悪い』と言う人もいるが、議会は話し合い。友達、先輩と後輩を持たないといけない。派閥内で議論したり、行儀を教えてもらったりしながら議員としての自覚を深めた。今の国会議員は国民を代表し、日本を動かす気概が感じられない」

 -小選挙区制の課題は。

 「無党派層が誰を支持するか、『風』がどこに吹くかで結果が決まる。よほどまじめでなければ政策を勉強しない。国政報告会でも有名な人を呼び、意味のない演説を繰り返すだけだ」

 「二大政党制を目指したが、結局は実現できていない。2009年に民主党が一度政権を取ったが、短命に終わった。経験不足で国民があきれてしまったのだろう」

 -改善策はあるか。

 「野党は何度も政党をつくっては壊すことを繰り返した。小選挙区と同時期に導入された政党助成制度が一因だろう。国会議員が5人いれば新政党を設立でき、交付金を得られる。人数の要件を上げるべきだ」

 -17年の区割り変更で、岩手では広大な選挙区が誕生した。

 「岩手2区は、青森県境の洋野町から宮城県境の陸前高田市までの沿岸部と、滝沢市などの内陸部が含まれる。中選挙区とほぼ同じ面積なのに、1人しか当選できない。小さな市町村のテーマを拾わなくても、都市部の課題を扱っていれば勝てる。『不人情な選挙区』ができてしまった」

 「例えば岩手なら、県を二つに分け2議席ずつとする。そうすると二大政党制に近づくのではないか」

 -東北では、さらなる選挙区の減少が予想される。

 「任期最後に自民党過疎対策特別委員会の委員長を務めた。過疎対策は、東北の議員であれば誰もが取り上げるべき問題。地方振興を考えてほしい」
(聞き手は盛岡総局・横川琴実)

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