【原発事故と私 福島の10年】第5部(5完)新たな船で漁業へ、本格操業の再開待つ

早朝、請戸漁港でヒラメを水揚げする只野(中央)。コロナ禍の影響で売値は「去年より2割くらい安い」と言う

◎沿岸漁業の漁師 只野友一(70)=福島県南相馬市

 「ここは原発から北へ6キロぐらいかな」。福島県浪江町の請戸漁港は、東京電力福島第1原発から最も近い港。相馬双葉漁協組合員の只野友一(70)はまだ暗いうちに車で南相馬市の自宅を出て、請戸から「第18大和丸」で出漁する。

 早朝の漁を終え濃い霧をかき分けて戻った船には、優に50センチを超えるヒラメがどっさり。巨大なアンコウも水揚げしたが、あまりうれしくない様子だった。

 「なぜか最近よく網に入るが、競り値は1キロ当たり30円程度。30キロのアンコウを売っても、1000円にもならない」

 「試験操業」という聞き慣れない名の漁業が福島県沿岸で始まったのは2012年6月。東日本大震災と原発事故で沿岸漁業が全面的にストップしてから、1年3カ月後だった。今年3月末で試験操業は終わったが、以前の姿に戻ったわけではない。本格操業は数年先と見込まれている。

 「試験操業が終わっても私のような小型船はそう影響がないけど、復旧に向かっているのかなという感じはある。ただ、操業海域の拡大は期待していた」

 第1原発から10キロ圏内の海はずっと操業自粛が続いていたが、4月以降も自粛は変わらなかった。6キロの請戸漁港を出ても、目の前の海では魚が取れない。

 「請戸の漁船は原発事故まで、浪江から南の海で漁をしてきた。『東電前』でも取っていたが、今は北の南相馬市沖合が主な漁場になる」。もどかしい「アウェーの海」での漁が続く。

 請戸地区は震災で壊滅的な津波被害を受けた。大和丸も流され、すっかり諦めていたら「千葉県の700キロ沖合で漂流しているのが見つかった。震災の年の5月だった」。

 宮城海上保安部が撮った写真では壊れているようにも見えず大喜びしたが、それもつかの間。小名浜港へえい航する途中、荒天でロープが切れ転覆してしまったという。進水してまだ5年しかたっていなかった。

 翌年には新造船を決意。軒並み津波に見舞われた東北の造船所では造れず、北海道苫小牧市の造船所を探し、発注した。新しい船は13年3月、南相馬市の漁港に到着した。「費用は1億円ぐらい。浪江の家も船も流され、資金もない状況だったが、国の助成で何とか造ることができた」

 試験操業が終わっても、原発事故前の水揚額の約80%を上限にした東電の賠償は続いている。「3カ月ごとに入る賠償金を当てにして、無理に操業しなくともいいと思っている漁師もいないことはない」と話す相双漁協の組合員も。

 だが、只野は「できるだけ漁に出て、3万円でも5万円でもいいから水揚げしたい」。今はまだ月に8日ほどだが、好きなだけ船を出して魚を取る日が来るのを待っている。「それが本格操業の再開ということ。国と東電は4月に、福島第1原発の処理水を海に流すことを決めたが、やめてほしい。いつ本格操業に移れるのかも、まだ分からない状況なのだから」
(敬称略)
(第5部は高橋敦、早川俊哉、矢野奨、横山勲、佐々木薫子が担当しました)

「原発事故と私」は今回で終了します。

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