藤田一也選手ありがとう 輝いた東北楽天での10年間

的確な打球判断と読みで広い守備範囲を誇り、ファンからは「藤田プロ」と愛された=2014年4月4日、コボスタ宮城

 東北楽天の守備の名手・藤田一也内野手(39)が4日、チームから来季の契約を結ばないと告げられた。球界屈指の守備と勝負強い打撃でチームを支えてきた功労者。感謝の思いを込めて、これまでの活躍を写真や当時のコメントで振り返る。(編集局コンテンツセンター・佐藤琢磨)

入団会見で東北楽天のユニホームと帽子を身につけ、ガッツポーズする藤田(左)=2012年6月26日、東京都内

12年「早く名前覚えて」

 2012年6月26日、星野仙一監督(当時)に請われ、DeNAからトレードで加入した。当日には二塁手で先発出場。7月1日のソフトバンク戦で移籍後初安打を放った。
「1本出て良かった。早く名前を覚えてほしい。チームの雰囲気はいい。それに乗って活躍したい」

移籍後12打席目で右前に初安打を放った藤田「長かった」=2012年7月1日、Kスタ宮城

13年「最高のシーズンだった」

 13年は正二塁手として128試合に出場。松井稼頭央内野手と二遊間を組み、東北楽天初のリーグ優勝と日本一に貢献した。ゴールデングラブ(GG)賞とベストナインにも輝いた。
「最高のシーズンだった。目標にしてきた賞も取れて幸せ。楽天で1年でも長く現役を続けたい」

初の日本一に輝き、抱き合う田中将と嶋に駆け寄る藤田(右)=2013年11月3日、Kスタ宮城
初のリーグ制覇を果たし、祝勝会で星野監督(左)にビールをかける藤田=2013年9月27日、東京都立川市内のホテル

14年「1億円プレーヤーになれるとは」

 14年は選手会長を務め、全144試合に出場。チームは最下位に沈んだものの、シーズンわずか4失策で守備をけん引。2年連続でGG賞、ベストナインを獲得した。プロ10年目で初めてオールスターにも出場し、年俸は1億円を突破した。
「頑張れば(1億円超えの)チャンスがあるのかなと思った。まさか自分が1億円プレーヤーになれるとは」

堅い守備で何度もチームを救い、ゴールデングラブ賞を3度獲得した=2014年4月6日、仙台市宮城野区のコボスタ宮城
オールスターに初めて選ばれ、第1戦の試合前に守備練習をする藤田=2014年7月18日、西武ドーム

16年「受賞でき大変うれしい」

 15年は右足のけがなどで111試合の出場にとどまったが、16年5月17日のオリックス戦で通算1000試合出場を果たした。また、本拠地のコボスタ宮城(現楽天生命パーク宮城)が人工芝から天然芝に変わる中、通算3度目となるGG賞も射止めた。
「プレースタイルを変えたり、けがもあったりした中で受賞でき、大変うれしい。現役でいる限り、ずっと狙いたい」

通算1000試合出場を達成し、笑顔でボードを掲げる藤田=2016年5月17日、秋田市

19年「一年でも長く現役を」

 若手の起用が増えた17年から出場機会が減少。19年には西武から浅村栄斗内野手が加入して遊撃手に転向した影響で、定位置確保に至らず苦しんだ。それでも、19年5月14日にホームで行われた日本ハム戦で通算1000安打を達成した。
「東北のファンに見せられて良かった。一年でも長く現役を続け、一試合でも多く出て、一本でも多く打ちたい」

日本ハムの有原から通算1000安打となる右前打を放つ藤田=2019年5月14日、楽天生命パーク宮城
手を浮かす「神タッチ」でサヨナラの生還を果たした藤田=2019年5月15日、楽天生命パーク宮城

20年10月の安打が最後

 20年は代打と守備固めでの起用となり、55試合の出場にとどまった。公式戦最後のヒットは、現時点ではこの年10月25日の日本ハム戦。7回の守備から浅村に代わって「3番・二塁手」で出場し、左前打を放った。

 通算成績は1407試合、打率2割6分8厘、1019安打、24本塁打、322打点。プロ通算16年で失策はわずか48となっている。

笑顔でチームメートとタッチする藤田=2020年10月25日、楽天生命パーク宮城
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