<東北楽天・藤田選手~一期一会とともに>(下)次なる藤田一也

芸術的な守備でファンを魅了する藤田=2013年5月23日、Kスタ宮城(当時)

 バッテリーと打者の駆け引きから打球方向を予想し、一歩目をコンマ1秒でも早く踏みだす。そして白球はグラブに収める間もなく握って投げる―。「藤田プロ」と賞されたほど芸術の域にあった守備は、いかにして磨き上げられたのか。

 野村克也監督の指導を全く受けていないが、藤田は野村イズムを体現している。己の弱点を克服しよう、強くなろうとする者に特有の「準備」意識が強い点だ。

 守りに構える時、視野は打者の一点だけに集中するわけではない。「車を運転する時の感覚に似ている。予測が大事。広い視野を持ちながら、危険そうな点を警戒するような」と言う。「足が遅い」と自覚する身体的条件を乗り越えるべく、事前に察知して動く判断力を養ってきた。

 身のこなしはプロ入り後、名手の先輩から見て盗んだ。横浜時代、ノックを受ける石井琢朗の後ろにいる時だけ、飛んできた球が見えた。観察して直感した。

 「ボールに対して正面で正対するよりも、体の左側から入った方が距離感をつかみやすい。捕る瞬間だけ正面に入ればいい」。練習でその動きを徹底的に習得した。

 「肩も弱い」と言う不利を補うために、いかに捕球処理を速くするか。原点は高校時代、捕球練習で左手にはめたのは「来賓用」と書かれた緑や茶のスリッパだ。その裏にボールを当て、跳ね返ったところを右手で捕る訓練を地道に繰り返した。

 今になっても、練習から試合に至るまで、ボールはグラブのどこかに当てた後、素早く持ち替える練習を徹底する。「いろんな場所に当てて、どんな形でも取れるようにするため。急な体勢から投げるための練習を兼ねている。そもそも理想的な握りで投げられることは何百回に1回くらいしかない」

 何事もなかったかのようにボール処理をしなければ周囲からの信頼感は得られない。「守備はうまく見せるごまかしが大事。やせ我慢」とも言う。

 固定観念のように信じられてきた「基本」をうのみにしない柔軟さが藤田流。

 「これでなくてはいけないという決まった形をあえてつくらない。形があると、その通りにできない時に不安になってしまう」

 守備哲学の中核的な発想だ。だから流れる水のように流麗に見えるのだろう。

 たとえば送球。「『ボールは相手の胸に向かって投げる』とよく言うが、捕ってくれそうなところに投げればいい。胸にこだわるから悪送球する。イップス(心理的重圧などが要因で思った通りの動作が突如できなくなる症状)の原因にもなる」。いい意味での開き直りで、送球時の迷いを排除した。

サヨナラ打を放ちチームメイトから祝福される藤田(右から2人目)=2016年7月23日、コボスタ宮城(当時)

 実は東北楽天に来てから悩みに悩んだ時があった。「自分がどうなってしまうのかと夜も眠れなかった。フリーエージェント(FA)宣言して、人工芝の球場が本拠地のチームに移籍できないかと考えもした」。翌年から本拠地が天然芝化されると発表された15年オフのこと。

 この時既に33歳。名人の域にあった藤田の二塁守備は、横浜スタジアムも含めて打球のスピードやバウンドが想定しやすい人工芝でこそ本領発揮できた。一、二塁間や二、遊間深くのゴロ安打性の打球に追い付く広い守備範囲は、速い打球が来る前提で後ずさりができることが前提だった。

 天然芝化は世界観の一変を意味した。

 天然芝上でボールを拾いに行くためどうしても前掛かりになる。打球は失速し、不規則なバウンドも増えるからだ。比較的体が硬く、腰高の藤田には守備を根幹から揺さぶられることを意味した。

 「人工芝では感覚的に後方を含めて視野200度以上の守備範囲がある感覚だった。それが天然芝で一気に前方160度くらいに縮まった。データで見ても明らかに守備範囲が狭まってしまった」

 それでも16年、グラウンドキーパーの裏方さんたちと一緒に雨の日も風の日もボールの跳ね方を確認し、適応していった。

 119試合で4失策、リーグトップの二塁守備率9割9分3厘を記録。3度目のゴールデングラブ賞を得た喜びはひとしおだった。「プレースタイルを変えた中で受賞できた。大変うれしい」

 藤田には目標があった。同じ大卒でプロ入りし、38歳の18年限りで引退した横浜時代の先輩村田修一よりも長く現役生活を送ること。39歳になり、野球人生の転換点を迎えたまさに今、何が胸に去来するのか。

 「球団からはチームに残る方向でのお話もいただいてましたが僕自身、まだ現役でプレーすることへの思いが捨て切れず、その思いを汲(く)んでもらってこのような形となりました」。藤田は4日のブログで、捨て切れない現役への執着を明かした。

 これから選手を続ける道を探るにしても、別の形になるにしても、ひた向きに前途を切り開くだろう。「一期一会」を座右の銘とする彼が出会いを通じて会おうとしているのはいつも、乗り越えた壁の向こうにいる次なる新しい藤田一也なのだから。

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