時折、ふと誰かが投げた言葉の釣り針に引っ掛かってしまうことがある。病院の待合室、列車の中や駅のホーム、信号待ちの横断歩道、客足が遠のく時間帯の店などで、不意に言葉を掛けられ、そのまま誰かの語りに巻き込まれることになるのだった。それは大概、街の案内や、ひっそり置かれている物の背景的な説明から始まり、そこに個人の過去の断片が入り込んでくる。最終的には、圧縮された年代記を耳にすることも珍しくない。
10月のあたま、イェーナの旧市街を通り抜けていたところ、くすんだ白壁の玩具屋の窓越しに人形の家が目に留まった。縦半分に切断された4階建ての家には、3階まで三つずつ横並びに部屋が配置され、最上階は大きな屋根裏部屋が占めている。台所や食堂、居間、客間、寝室、子供部屋、浴室など典型的な「ドールハウス」。家具の細やかな造りに対して人形は雑な印象があり、精緻な舞台背景の中でただ手足を広げているだけだった。
ああ、「東」っぽい家ね、と小さく笑みを含んだ静かな声が耳元をよぎる。人形の家から目を上げると、横には鮮やかな赤い薄手のセーターを身に着けた老婦人が立っていた。彼女はガラス越しに部屋から部屋へと指さし、家具や室内装飾について言葉を重ねていった。冷蔵庫のスタイル、ソファの布張りや壁紙の模様、居間に配置された家具や部屋の造り。明かりの形。「東ドイツ」の頃の生活が、小さな部屋の家具を通して編まれてゆく。
しかし、ふと気が付くと、その老婦人が語る人形の家案内には、少しずつ彼女のかつての生活が紛れ込んでいた。発電所の技術者として働いていた生活や家族のことに話が移行すると、私が目にしているのは人形の家ではなく、彼女の過去の断片なのかもしれない、と疑いがにじみ出てくる。ガラスの向こう側で、私は彼女の家を訪れた客人となり、寝そべる人形たちも立ち上がって、老婦人の家族として自己紹介しそうな気配があった。
イェーナは旧東ドイツ側にあった街である。そのために、街並みの中にも古い店や家の中にも、「東」と呼ばれる断片をいくらでも目にすることが可能だ。それは記憶の装置となり、持ち主の口から「東」の回想が静かにこぼれ出すこともある。土地に刻まれた境界線が消えても、記憶に刻まれたままのことはあるが、言葉にも留まり続けるのかもしれない。
今年もまた10月3日が訪れた。東西ドイツが再統一してから31回目の記念日。すでに二つを分け隔てる境界線は存在しない。それでも、会話の中では「西」「東」という言葉がよく顔を見せる。それは方角に留まることをせず、すでに一つの歴史的、政治的な意味を負っているのだ。言葉は人の口を通り過ぎてゆくうちに、意味も幾つも重ねてゆく。意味は服のように重ね着が可能だが、時間がたつにつれて皮膚的なものに変容するのかもしれない。そうなったが最後、言葉や記憶、そして物や場所からもすでに引きはがすことが難しくなってくるのだろう。
あれから玩具屋のそばを通ることを、足は何となく避けている。あの「東」の断片を含んだミニチュアの家の中に、赤いセーターをまとった人形がいるのではないか、とどこかで恐れているのだ。
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