<今こそノムさんの教え(26)>「B型が最強」

 イチロー、張本勲、野村克也、門田博光、福本豊。いずれもプロ野球史を彩ったレジェンド、彼らの共通点にお気付きですか? 「2000本安打以上打って名球会入りした選手」。正解です。そして全員、血液型がBなんです。では、王貞治、松井稼頭央、松井秀喜、衣笠祥雄、金本知憲、彼らは何型でしょう? 全員O型。実は通算安打数(日米通算)の上位10人はB型とO型なんです。A型は立浪和義がもうすぐベストテンの11位ですが、AB型は…。気を悪くなさらず、お付き合いください。

発言や立ち居振る舞いが常に注目された野村監督=2009年2月、沖縄県の久米島野球場

 「だから言っただろう。名球会はB型が多いって。通算安打数上位3人、イチロー(4367本)、張本(3085本)、俺(2901本)とみんなB。Bは最強なんだ」

 イチローが張本の記録を抜いた2009年春頃の東北楽天ベンチ、野村監督はよくB型至上主義を説いた。記者たちが名球会メンバーの血液型を調べると、確かにその通り。監督は「A型が本来は最多数なのに面白いよな」と胸を張る。

 他に通算本塁打(日米通算、2021年現在)も1位王のO型に続く2~5位はB型。ベストテンもB型、O型が5人ずつ。

 確かに弱肉強食の世界の頂点に立つには、より我が強い方がよさそう。ハングリー精神が原動力だった野村さんの半生を振り返るまでもなく、説得力はある。

 一般的に言われる類型は、A型(全体の構成比40%)は繊細、きちょうめん。B型(20%)はマイペースで頑固、リーダー型。0型(30%)はおおらか、負けず嫌い。AB型(10%)は芸術家肌、二面性がある―などだ。

 血液型による性格の分類は科学的根拠がなく、先入観にも近い。しかし万人が知る通念だ。それを野村監督は軽視せず、相手心理の分析や洞察のきっかけとして勝負に生かそうとした。

 「『人を見て法を説け』『氏より育ち』とは言ったもので、確かに人間の性格は育った環境が9割と思う。でも残りは血液型だろう。野球にも少なからず影響する。相手を知るのに役に立つ」。実際、監督は相手チームの新顔を見掛けると「何型だ」と橋上秀樹ヘッドコーチに選手名鑑で調べさせた。

 ここからは監督個人の独断と偏見。なにとぞおおらかにお受け止めください。

 「B型同士は引き寄せ合うんだ。俺とサッチー(沙知代夫人)もそう。B型のやつ、手を挙げてみろ」。監督が見回すと、10人ほどいた記者のほぼ半数がB型(筆者含む)だった。「そら見ろ」。どや顔の監督を囲んで、みんな大笑い。

 「でもな、何でかこのチームは少数派のAB型が異常に多い。だから俺の考えがうまく伝わらないのかな。言っちゃ悪いが、AB型ってちょっと変わっているからな」。確かにAB型はコーチでも橋上秀樹、池山隆寛、西俊児と3人いた。選手もエース岩隈久志を筆頭に、藤井彰人、渡辺直人、鉄平、中村真人…。なぜか主力の多数派だった。

 マクラが半分くらいになりましたが、今回の本題は「心理戦で相手をどう上回るか」。

 今年と同様、ヤクルトとオリックスが顔を合わせた26年前、1995年日本シリーズは振り返れば唯一の野村、イチローによるB型野球人の頂上決戦だった。ヤクルト野村監督は心理戦に勝機を探る。

 オリックス最大の難敵はイチローだ。前年にはシーズン210本の最多安打新記録を樹立。阪神大震災後の「がんばろうKOBE」を掲げたこの年も、打率3割4分2厘、25本塁打、80打点と三冠王に準ずる大活躍でフィーバーが続いていた。93年日本一を知るヤクルトが格が上ではあったが、イチローを調子づかせれば、強い逆風にさらされることは目に見えていた。

 「ストライクゾーンに弱点がありません。お手上げです」。スコアラーに託したイチロー分析の結論だった。しかし決戦目前、ニュース番組に出演した野村監督はイチロー攻略法を問われ、ある作戦を吹聴する。

 「結論は出ました。イチローは内角高めに穴がありますよ。そこを徹底して攻めます」

 この後新聞も含め報道は「内角攻め」一色になる。

 完全なる陽動作戦。B型のプライドを刺激し、挑発して、野村監督はこうも言った。この年3割30本塁打30盗塁のトリプルスリーを達成した野村謙二郎(広島、B型)を例に「野村より下や」と。

 いざ決戦。

 イチローは見るからに内角を意識し、調子を乱した。古田敦也捕手(B型)らヤクルトバッテリーはふたを開けてみれば、外角勝負。内角はスパイス程度にしか使わず。見事にイチローの出はなをくじく。

 ただ相手は球界最強打者だ。第5戦で本塁打を放ち、復調してきた。「途中で外角勝負の作戦がばれちゃった。さすがにイチローは修正してきた。あれがもう少し早かったら、やられていたな」。野村監督は振り返った。結局、第4戦までイチローを16打数3安打、打率1割8分8厘と封じたのが奏功。4勝1敗でヤクルトが2年ぶりにシリーズを制した。

 実は隠し味も一つ。予告先発を見てオーダーを組む「猫の目打線」が売り物のオリックスをかく乱する作戦だ。シリーズ開幕直前の練習、第1戦先発予定の右腕ブロスに肩痛を訴える芝居を打たせた。新聞は「ブロスピンチ」「左腕石井一久(現東北楽天監督、O型)か」と報じた。ここで野村監督はしれっとブロスを起用。第1戦を勝利する。

 野村監督が相手をもてあそぶ様は、今で言うメンタリストのようだった。しかしとぼけた一面も。東北楽天ベンチである時明かした話。

 「この間高級クラブに連れられて行った時、そこの女性を『今度、食事でも』って誘ったんだ。『考えておく』って言われたんだけど、全然返事が来なくて。電話しても出ないし…」

 目が点になった記者たち。一人が意を決して言う。

 「監督、『考える』はお断りの言葉ですよ」

 後日、野村監督は新しい携帯電話を披露した。「前のは真っ二つになった」と苦笑いしながら。

 「サッチーが『何よ、この番号』と怒っちゃった。あれは生粋のB型、やっぱりB型はかなわんな」
(一関支局・金野正之=元東北楽天担当)

[のむら・かつや]京都府網野町出身(現京丹後市)。峰山高から1954年にテスト生で南海(現ソフトバンク)へ入団、65年に戦後初の三冠王に輝いた。73年には兼任監督としてリーグ制覇。77年途中に解任された後、ロッテ、西武で80年までプレーした。出場試合3017、通算本塁打数657は歴代2位。野球解説者を経て、90年ヤクルト監督に就任し、リーグ制覇4度、日本一3度と90年代に黄金時代を築いた。99年から阪神監督となるも3年連続最下位に沈み、沙知代夫人の不祥事もあって2001年オフに辞任。社会人シダックスの監督を経て、06年から東北楽天監督に。07年に初の最下位脱出し、09年には2位躍進で初のクライマックスシリーズ進出に導いた。監督通算1565勝1563敗76分けで、勝利数は歴代5位。20年2月11日、84歳で死去。

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