軽ワゴン車で日本縦断 きっかけは会社愛 サウナ社員武者修行(上)

 岩手県一関市赤荻(あこおぎ)で宴会場とサウナを展開する「古戦場商事」社員の井上心太さん(24)と中村惇平さん(23)が、新型コロナウイルスで苦境に立つ会社をもり立てようと7月に出発したサウナグッズ販売の長旅から戻った。10都府県の17温浴施設を軽ワゴン車で巡った94日間の日本縦断は、食費、宿泊費、燃料費も全て売り上げから賄った。「『古戦場』を全国区に」と願う若者2人の奮闘を紹介する。
(一関支局・金野正之)

訪問先の店頭でサウナグッズを販売する井上さん(左)と中村さん=10月2日、仙台市青葉区のキュア国分町

コロナ後見据え

 長い旅のきっかけは、会社愛だった。

 「一人前じゃないのにただ会社にいて給料をもらっている。これでいいのか?」。厨房勤務の2人は宴会準備の機会がコロナで見るからに減っていた。手持ちぶさたの食器棚の清掃や整理整頓もやり尽くした時、入社して日が浅い自分たちでも役立つ方法を考えた。

 苦境の中、浅野裕美社長(44)が1年前からサウナブームに乗ったリニューアルと、グッズ開発や県外へのPRに力を入れていた。古戦場サウナは東北でも上位の人気を得始めていた。

 神奈川県で6月にあった人気サウナによるグッズ販売イベントに出店した際、入浴用ハット、タオル、バッグなどが飛ぶように売れた。手伝った2人は一念発起し、社長に企画書を出す。「コロナ後、岩手に来てもらうため古戦場の名を売って全国を回ります」

 「そこまで古戦場を好きでいてくれてありがとう。若さを存分に発揮してきなさい」。社長はかわいい子には旅をさせよと背中を押し、愛のむちとも呼べる厳しい条件も課した。

 2人は7月から3カ月間休職扱いとなり、前借りした3カ月分の給料で販売用のグッズ100万円分を仕入れた。出発に際して社長はワゴン車のボンネットに「経験は力なり!!」とエールを書いた。

 折しもコロナ流行の第5波が猛威を振るっていた。販売会開催を許してくれた、仙台市から九州までのサウナ施設を巡回するとはいえ、県境をまたいで流浪する若者への世間の視線は当初冷たかった。

 旅の序盤、宮城の温浴施設で2人は男性客にいきなり厳しく言われた。「今の時節に全国を回るのか。何考えているんだ」

人の優しさ実感

 軌道に乗るまでの最初の1カ月間は活動資金がぎりぎりの状態。友人宅に居候もした。2人が「一番苦しかった」のが蔵王連峰の温泉地で販売会をした時だ。

 施設の駐車場に車を止めての車中泊が続いた。食料を調達しようにも最寄りのコンビニは車で片道約30分。結局、車の電源を使ってご飯を炊いた。客から差し入れでもらったコーンポタージュ味のスナック菓子を砕き、振りかけた。「こんなに白米がうまいなんて」。昼食も、包み紙に「うまい」と書かれた棒状のその菓子2本ずつだけだった。

 車中泊は狭すぎた。商品在庫を温浴施設の好意で預かってもらい、空いた荷台に身長185センチの中村さんが段ボールを敷いて横たわった。井上さんは倒した助手席に寝て、足だけ斜めに運転席側に放り出した。「こんな寝方はなかなかする機会ないね」。夏場に10度を切る高原の夜も2人は笑って乗り切った。

 触れ合った東北人たちは少なからず2人の挑戦に心打たれ、手を差し伸べた。ゆべし、ささ巻き、シューマイ、栄養補助食品、果物ジュース、食事券…。一時は3キロほど体重が落ちた2人は優しさが身にしみた。

 「コロナで人と人とに壁ができたって言われるけれど、何だかんだ、日本人って情に厚いんだ」。あれ以降冷たく批判されることもめっきりなくなっていた。

[古戦場サウナ]1956年に岩手県平泉町で精肉店として創業。社名は立地が平安時代の「前九年の役」の古戦場だった衣川柵跡に近いことに由来する。現在地に移転後の86年から入浴施設を併設。サウナ室は定員約10人。最高温度110度。水風呂15度。

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