震災から間もなく11年。被災地で次の10年に向けて踏み出した人々の姿を伝える。
昨年5月11日、表立って言わなかった気持ちを、インスタグラムで初めて明かした。
「この10年間、苦しい思いをしてきました」
名取市の東北学院大2年大崎優斗さん(20)は前月、東日本大震災の被災地の訪問記や被災者へのインタビューを毎月11日に発信する「震災と復興プロジェクト」を一人で始めた。その2回目でのことだった。
母方の祖母志賀さち子さん=当時(63)=と生後4カ月のいとこ仁美ちゃんの行方が今も分からない。2人とも津波にのまれたとみられる。祖父母が住んでいたのは福島県双葉町。家屋は東京電力福島第1原発から4キロ、海岸線から500メートルの距離にあった。
町の大半は原発事故による帰還困難区域が占める。全町避難が続いているのは双葉だけとなった。
15歳になり、事故後初めて町内を訪れることができた。田植えや稲刈りを手伝ったこともある祖父の水田は、除染土などを詰めたフレコンバッグに覆われ、美しい緑や黄金色から黒一色に変わっていた。家屋は跡形もなかった。
「ここって本当に双葉なの?」。幼い頃から夏休みや年末年始に必ず過ごした「原風景」は、すっかり消えた。もう海水浴もできず、祖母が手打ちした米粉うどんも食べられない。3月11日が近づくたび、祖母といとこ、「心の古里」を失った悲しさが込み上げ、涙が出た。
学校で祖母のことや原発事故を話題にしたこともある。友人らは「ああそうなんだ」と聞いてくれるが、それ以上は続かない。「話をできる人がいない」と感じてきた。
大学に入り、自然災害や復興の授業を担当する教員に思いを打ち明けた。「被災者からの発信は意義がある」と言われ、プロジェクト活動を思い立った。
昨年7月、学内で活動を説明する機会があった。「重すぎないだろうか」と心配しながら、震災で失ったものや復興への思いをとつとつと語った。聴衆は10人足らず。何度もうなずく人や一心不乱にメモを取る人の姿を見て「話してよかった」と心の底から感じた。
たまたま参加した新入生へのオリエンテーションで福島県飯舘村出身の男子学生と知り合った。プロジェクト初のインタビューとして同県浪江町から仙台に移ったパン店に赴くと、店主の娘も新入生だと知った。2人を含め、メンバーは12人に増えた。
2月下旬、震災から11年になるのを前に双葉町に足を運んだ。祖父母宅跡には、1階部分を津波に抜かれた作業場が残る。近くに県の東日本大震災・原子力災害伝承館がある。
屋上に上った。記憶のかけらのような作業場の残骸を眺め、あの日からの長い年月の意味を考えた。風化と結び付けられがちだが、自分には必要な時間だったと思う。
「経験を伝えることで、震災を受け入れ始めた1年でした」
3月11日のインスタグラムには、そう投稿するつもりだ。
(報道部・岩田裕貴)
大学9校のオープンキャンパス情報や先輩学生の声。仙台圏での生活情報も満載!
毎週木曜日・仙台圏で42.9万部発行の「河北ウイークリーせんだい」。歌ったり踊ったり楽しいキャンペーン実施中。抽選でプレゼントも当たります。
東北の未来に向けて、みんなで手を取り合い、様々な活動に取り組んでいます。
SDGsマインドの向上をはかるための「みやぎSDGsアンバサダー」育成プログラム活動を紹介中!
2022年度企画準備中!詳しくはWEBサイトへ
あしたをつくる、地域の新たな可能性
東北6県7新聞社が東北全体の活性化を目指し明るい未来の創造を目指します
みやぎの職場を元気に健康に!健サポフレンズも新規会員募集中
特選不動産情報(毎週金曜日更新)
仙台「四方よし」企業大賞
Job探:仙台・宮城の求人情報
みやぎのいいものご案内!47CLUB
宮城の赤ちゃんへ贈ります「すくすくばこ」好評受け付け中!
LINEスタンプ「かほピョンとなかまたち」
宮城県からのお知らせ
みやぎ復興情報ポータルサイト
杜の囲碁サロン
Copyright © KAHOKU SHIMPO PUBLISHING CO.