ベガルタJ2戦記(4)降格の余波は大きく
2004~05年余録
ベガルタ仙台は今季、J2から再出発した。抜け出すことの難しさから「沼」とも称されるこのリーグは、前回はい上がるまで6シーズンを要した。特に苦しい戦いが続いたのが降格1、2年目。当時の番記者として、戦力や経営面から苦闘ぶりを振り返ってみる。縁起でもないと感じる向きもあるかもしれないが、あえてここは英国の政治家チャーチルの言葉を引こう。
「歴史から教訓を学ばぬ者は、過ちを繰り返す」
リーグ戦としては7年ぶりとなる山形との東北ダービーは、見どころたっぷりの一戦となった。流麗なカウンターが生んだ先制点。中山仁斗の決定力が光った2点目。そして決勝点となった遠藤康の芸術的なFK。GKはコースを読んでいたがあの軌道では届かない。左30度の角度から左足で巻いてあの位置に蹴り込む技術の高さは舌を巻く。
前節盛岡戦から気田亮真とフォギーニョが中盤に入って推進力が増した。これで5戦負けなし。上々の開幕ダッシュを喜びたいところだが、複数スタッフの新型コロナウイルス感染が判明した。これ以上の大事にならないことを祈るばかりだ。
私がベガルタの担当になったのは2003年11月。降格が決まったアウェー大分戦の直前だった。残留には勝つしかない直接対決で、結果は1―1のドロー。1500人を超えたアウェー席の観衆の中には当時の藤井黎仙台市長もいた。「悔しいねえ」。熱狂的なサポーターとして知られた市長は今にも涙ぐみそうだった。
主力選手だった森保一、小村徳男らへの戦力外通告に山下芳輝の移籍。降格の余波を追い続ける日々がようやく一段落ついたころ、思わぬ情報が聞こえてきた。
「カニトップがスポンサーを降りるらしい」
当時のトップスポンサー、ジャパンヘルスサミット(JHS)は仙台市に本社を置く健康食品販売会社だ。ベガルタが日本フットボールリーグ(JFL)でブランメル仙台と名乗っていた1998年からユニホームの胸に主力商品「カニトップ」の広告を出してきた。
撤退は経営に大きな影響を及ぼす。JHSに電話すると、担当者が会うという。すぐに青葉区の本社に向かった。
応接室に通されると幹部と広報担当者がいた。名刺交換もそこそこに本題を切り出すと、あっさり撤退の意向を認めた。
「危機的状況だったクラブ経営を支援するという当初の目的は達成されましたので」。前々から検討していたことだという。11月中旬にクラブ側にも伝えており、降格が理由ではないことを強調していた。
記事を書く材料はそろった。しかし、もう一つ必要な作業がある。ベガルタ側への取材だ。JHS側は撤退を明確に認めている。それでも「書きますよ」という意思を伝えなければならない。
JHSを出てすぐにベガルタに電話すると本間良一専務(当時)が出た。「社長ならいないよ」。京極昭社長(同)はその前々日辞任会見したばかりだった。
JHSの話をすると「本当? 聞いてないなあ」。おとぼけがうまい好々爺(や)だったが、ここで折れるわけにはいかない。「JHSが認めている以上書きます」。そう伝え電話を切った。
会社に戻って原稿を書いていると携帯が鳴った。本間専務だ。「社長が話したいと言ってるんだ。来てくれないかな」。パソコンを閉じてベガルタの社屋に向かうと、駐車場の車内から手招きする人がいる。京極社長だった。
社内ではできない話ということなのだろう。助手席に座らされると、京極社長はハンドルに手を置き、前を向いたままおもむろに口を開いた。
「専務から話は聞いた。どうしても書くのか」。撤退の意向を伝えられたことは認めたが、まだ交渉を続けたいと言う。それでもJHSは翻意の可能性を明確に否定していた。そこは何度も確認している。
「書かないでほしい」「書きます」。堂々巡りが30分ほど続いた頃だったと思う。京極社長はハンドルから手を離すと、初めて私に鋭い眼光を向けて言った。
「俺がこれだけ頼んでるのに、それでもだめなのか」
ご存じの方もいるだろうが、京極社長は河北新報社出身だ。私が入社した時はナンバー2の専務。最終試験はメーンの面接官だった。「こんな若造に何が」という思いがあったことは想像に難くない。
勝負に出たのだろう。私も切り札を用意していた。
「知った以上は書きます。知ったのに書かないのは読者への背任行為、そう先輩から教わってきました」
社長は少しさみしそうな表情を浮かべた記憶がある。「分かった」。そう言って車から出るよう促した。
翌年からアイリスオーヤマがメーンスポンサーに昇格し、ベガルタにとって干天の慈雨となった。「J2だったら露出も少ない。費用対効果で言えば全然成り立たんけどね」。阿武隈川を見下ろすアイリスの応接室で、大山健太郎社長(現会長)から当時よくそんな話を聞かされた。かつて映画監督を目指し、クラシック音楽を愛する文化系の経営者だが、ユアスタでの観戦でサッカーに一目ぼれしたという。物心両面からの支援が今もなお続く。
京極さんとはその後何度かお会いする機会があった。というのも通っているジムが一緒で、80歳を過ぎても背筋がピンと伸び、かくしゃくとされていた。すれ違う時に会釈する程度だったが、眼光の鋭さはあの時のままだった。
京極さんは1999年に社長に就任。清水秀彦氏を監督に招いて戦力のてこ入れを図り、チームは2年後に初のJ1昇格を果たした。クラブ最大の功労者の一人と言えるだろう。残念ながら昨年鬼籍に入られた。果たして今のベガルタの状況をどう見ているのだろうか。
(スポーツ部・安住健郎)
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