仙台ハーフマラソンと共に四半世紀  運営支えた68歳男性退職

「皆さんに支えられて仕事ができた」と振り返る武田さん

 四半世紀にわたってスポーツ行政に携わった仙台市スポーツ振興事業団相談役の武田均さん(68)が31日に退職する。同市職員時代から仙台国際ハーフマラソンの運営に関わったことが一番の思い出だ。「皆さんに支えられて今がある」と感謝の言葉は尽きない。

「セールスマンですよ」

 1995年、市教委スポーツ課に配属されたのが始まりだった。合併前の旧宮城町役場に入ってから医療、保険分野に精通していたが、スポーツは初めて。上司からの命令は「マラソンをやれ」。

 当時、設定タイムのハードルが高く、大会の参加規模は1000人に満たなかった。大会ポスターの絵柄をテレホンカードにして、東京・旧国立競技場に足を運んでは、大学や実業団の監督に配りまくった。「もう、セールスマンですよ」と笑いながら振り返る。

 当時コーチだった強豪・駒大の大八木弘明監督(会津若松市出身)に熱意が伝わり、同大からは毎年、選手が出場している。

 一度、大失敗を犯したことがある。他都市のマラソンと日程が重ならないようにと2005年、周囲の反対を押し切って大会を3月から7月に移した。ところが、蒸し暑さですこぶる評判が悪かったという。後日、関係各所に謝罪に歩いたのは今ではいい思い出だ。翌年の大会から現在の5月で固定されている。

 東日本大震災直後の中止を挟んで、12年から市民参加型の1万人規模のイベントに生まれ変わった。過去にはハーフからフルマラソンにかじを切ることも検討したが、相談相手でもある元日本ケミコン監督の泉田利治さん(現石巻専大監督)の「仙台にフルマラソンを走れる人が何人いるの?」との問い掛けに、はっとした。「国内最高峰のハーフにしよう」との決意が固まった。

荒川静香さんパレード

 仙台ハーフは多くのボランティアによって運営が成り立っている側面がある。スポーツの「する」「見る」「支える」の要素が詰まった大会とも言える。

 武田さんは東京事務所長だった3年間を除き、定年までスポーツに携わった。公務員は3~5年程度での部署異動が一般的だが、スポーツ界で長年培った信頼と人脈をフル活用した。

 06年、フィギュアスケート女子の荒川静香さん(宮城・東北高―早大出)がトリノ冬季五輪で金メダルを獲得した。武田さんは「地元で何かお祝いをした方がいい」と考え、荒川さんの家族にすぐに連絡。希望日を聞いて、約1カ月後に仙台市中心部でのパレードにこぎ着けた。

 その後、プロ野球東北楽天の日本一、フィギュア男子五輪金メダリストの羽生結弦選手(ANA、東北高出)と、杜の都でパレードは続いたが、ごみ一つ落ちていなかったのが自慢だ。「仙台市民、宮城県民、ファンのマナーの良さが素晴らしかった。本当に誇らしい」としみじみと語る。

 今後は一市民の立場で、スポーツイベントなどに関わる予定という。

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