「鎌倉殿の13人」頼朝側近の梶原景時 気仙沼・唐桑にゆかりの神社

早馬神社

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放映で、源頼朝に仕えた武将、梶原景時とゆかりが深い宮城県気仙沼市唐桑町の「梶原神社」「早馬(はやま)神社」が関心を呼んでいる。関係者は歴史を紹介する看板を設置し、特別御朱印も配布しながら参拝客を迎えている。

 景時は頼朝の厚い信頼を受けた側近で、鎌倉幕府では御家人の筆頭として権勢を振るった。頼朝の死後に梶原一族が没落すると、鶴岡八幡宮の宮司だった景時の兄景実(かげざね)が鎌倉から唐桑にたどり着き、1217年に梶原神社、19年に早馬神社を建立した。

梶原景時とのゆかりを説明する看板と宮司の梶原忠利さん=早馬神社

 梶原神社には御祭神として頼朝と景時、梶原景季(かげすえ、景時の子)が祭られている。梶原氏直系の子孫で早馬神社33代目宮司の梶原忠利さん(82)は「13人の有力御家人の中で、景時のように神社の御祭神として祭られているケースは全国でもわずか」と説明する。

 景時との関わりや創建以来の歴史を伝えるため、早馬神社境内には説明看板や年表を掲示。「石橋山の戦い」(1180年)の逸話などを描いた2種類の特別御朱印も頒布している。

特別御朱印を書く禰宜の梶原壮市さん

 歴史愛好家をはじめ参拝客は徐々に増加。忠利さんの長男で禰宜(ねぎ)の壮市さん(48)は「景実が頼朝の妻政子の安産祈願を執り行ったという縁から、安産や子育ての御利益を願って訪れる方も多い」と語る。

 景時は源義経と対立した人物としても知られるが、和歌を好み当時の東国武士には珍しく教養もあったという。ドラマでは中村獅童さんが演じている。忠利さんは「今後の展開でどのように景時が描かれるのか楽しみ。神社を訪れ、その人物像にも想像を巡らせてほしい」と話している。

[梶原景時]平安末期から鎌倉初期の武将。相模国(鎌倉)を本拠とした。「石橋山の戦い」では平氏側だったにもかかわらず、敗走して隠れた源頼朝を救ったという逸話が残る。鎌倉幕府で敷かれた「13人の合議制」の一人となったが、御家人66人から連判状が出される政争で追放され、1200年に京都へ上る途中で最期を遂げたと伝わる。

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