鹿野文永氏死去 旧宮城県鹿島台町長、86歳

 旧宮城県鹿島台町(現大崎市)の町長を8期務め、県町村会長などを歴任した鹿野文永(かの・ふみなが)氏が13日午後10時2分、肺がんのため大崎市の病院で死去した。86歳。大崎市出身。自宅は大崎市鹿島台深谷鴻ノ巣14の1。葬儀・告別式は18日午前11時半から同市鹿島台木間塚小谷地220の1、やすらぎホールかしまだいで。喪主は長男一郎(いちろう)氏。

 町農民組合執行委員長を経て1975年、町長選に初当選。2006年の1市6町合併による大崎市発足まで8期31年にわたり町政運営に当たった。「水害に強いまちづくり」を掲げ、防災対策などに尽力した。

 01~06年県町村会長、03~05年全国町村会副会長。町長退任後の08年、県内の市町村長経験者による「憲法九条を守る首長の会」結成に参画。19年発足の「全国首長九条の会」では事務局長を務めていた。

鹿島台町長選の8選を無投票で決めた鹿野さん=2003年4月

防災、平和に情熱燃やす

 旧鹿島台町(現大崎市)の町長を連続8期務めた鹿野文永さんが13日、86歳で亡くなった。農民運動から政治の道に入り、農業振興と「水害に強いまちづくり」に尽くした町長時代。退任後は平和運動をライフワークに据え、「猪突猛進」と自任するエネルギッシュな姿勢を貫いた。突然の訃報に、関係者から悼む声が相次いだ。

 「『迷う時はより困難な道を選ぶ』という人だった」。鹿島台町議会、大崎市議会で議長を務めた門間忠さん(73)は振り返る。印象に残るのは防災、特に水害との闘いにかけた情熱だ。

 1986年の8・5豪雨は、町に大規模な浸水被害をもたらした。鹿野さんは当時先進的だった道路兼用堤防「二線堤」の整備を決断。「町を分断しかねない事業。迷いに迷ったと思うが、『水害の町』から脱却するため毎日のように説明会を重ねた」と語る。二線堤は2019年の台風19号でも効果を発揮した。

 大崎市を誕生させた1市6町の合併では協議会副会長として推進に奔走した。当時の岩出山町長、佐藤仁一県議(71)は「信念と行動力の人だった」と評する。「少しスピードダウンしましょうと調整すると、逆にエンジン全開。過激な行動から誤解も招いた」と懐かしんだ。

 同じく元松山町長の狩野猛夫さん(84)は「(旧鹿島台村の『わらじ村長』と呼ばれた)鎌田三之助の政治姿勢を師として学んでいたと思う。常に正しいものを求める熱血漢だった。残念だ」と惜しむ。伊藤康志大崎市長(72)は「水害との闘いで流域治水の新しいスタイルを編み出すなど、偉大な地方自治の指導者だった」と述べた。

 「憲法九条を守る首長の会」で行動を共にした元白石市長で、「全国首長九条の会」共同代表の川井貞一さん(89)は「鹿野さんがいたからこそ首長の会が誕生し、全国組織にもなれた」と言う。「住民の命を守るのが首長の最大の使命。だからこそ多くの生命を奪う戦争は絶対にしてはいけないという同じ信念があった」と語った。

「憲法九条を守る首長の会」として、安全保障関連法案の廃止を求める記者会見に臨んだ鹿野さん(左から2人目。3人目は川井さん)=2015年11月、県庁
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