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ベガルタJ2戦記(7)シーズンも折り返し~メモリアルな試合に思う

 ベガルタ仙台は今季、J2から再出発した。抜け出すことの難しさから「沼」とも称されるこのリーグは、前回はい上がるまで6シーズンを要した。特に苦しい戦いが続いたのが降格1、2年目。当時の番記者として、戦力や経営面から苦闘ぶりを振り返ってみる。縁起でもないと感じる向きもあるかもしれないが、あえてここは英国の政治家チャーチルの言葉を引こう。
「歴史から教訓を学ばぬ者は、過ちを繰り返す」

ホンダFC戦で同点弾を決めた中山。嗅覚鋭いストライカーの復帰は心強い=1日、ユアスタ仙台

 苦しいゲームだった。1日夜にあった天皇杯2回戦は、JFLホンダFCのパスサッカーに翻弄(ほんろう)されて劣勢を強いられる。早々に先制を許した後も流麗な攻めに手を焼いたが、決定力の高さを見せ付けて逆転。Jクラブの意地を見せて3回戦進出を決めた。

 JFLはアマチュア最高峰のリーグに位置づけられる。近年はJ参入を目指すプロチームが多数を占めるようになり、群雄割拠の様相だ。今季は元日本代表の三浦知良が鈴鹿ポイントゲッターズに所属して注目を集めている。

 その中でホンダFCは実業団チームを貫きながら優勝争いの常連となっている。誰が付けたか別名は「Jの門番」。J3入りを目指すクラブに幾度も洗礼を浴びせてきた。

 天皇杯は2019年に8強入り。埼玉スタジアムでJ1浦和を下すジャイアントキリングも成し遂げた。昨年もJ1横浜Mを破っている。選手は昼までホンダの社員として働き、午後に練習するアマチュア。「それでもJ2に入れば中位レベル」。そう話すリーグ関係者もいる。ベガルタに限らず、どのJクラブにとっても難敵となる。

 天皇杯はPK戦決着ありの一発勝負。サッカーでこれほど難しいものはない。担当記者によると、原崎政人監督は相手にボールを持たれることは想定内だったという。ピッチの幅を広く使われても内をしっかりと締め失点を最小限に抑えた。19節の栃木戦も苦戦したが、このような戦いを続ける中で「しのぐ」力も育まれる。サポーターにとっては心臓に悪い試合が続くが、成長への糧になる戦いだったと捉えたい。

 シーズンは早くも折り返し地点を迎えようとしている。ベガルタは現在12勝3分け4敗で首位を走るが、2位新潟、3位横浜とは勝ち点差1。自動昇格枠を巡り、3チームのダンゴ状態が続いている。

 コラムの題材としている04、05年とJ1復帰を果たした09年シーズンの順位推移を振り返ってみたい=グラフ=。

 降格初年度、ベルデニック体制の04年は初戦が4失点、2節が5失点と最悪の幕開けだったのはこれまで記してきた通り。初白星は4節。川崎相手に佐藤寿人の2得点で逃げ切り勝ちを果たして挙げた。その後11節からの4試合で3勝を挙げて一時は4位に浮上したが、その後は鳴かず飛ばず。中位をさまよい続けて昇格ラインにほど遠い6位で終わった。

 05年の都並体制も開幕戦は0―3の黒星スタート。シーズン序盤は大敗する試合も目立ったものの、守りが安定するにつれて勝ち点を伸ばしていった。第31節からの10戦を8勝1分け1敗と猛チャージを見せ昇格争いに加わったが、最終節の福岡戦で痛恨のドロー。勝ち点1及ばず4位でシーズンを終えている。

 昇格を果たした09年は終始安定した戦いを続けていた。12節で昇格圏の3位まで浮上すると、C大阪、湘南とともに上位争いを続けた。最終盤の46節から5連勝で首位に。そのまま優勝を果たしてJ1復帰を決めた。

 19節を終えて今季のベガルタは得点36、失点23。昇格した09年(34、12)に比べ、守りの安定感を欠いているところが気がかりだ。昨季昇格を果たした京都(13)磐田(19)に比べても劣る。05年(22)すら上回る。

 ここまでの戦いぶりを見ると高い個の能力を生かし、少ない好機を確実に決めて勝ち切るゲームが目立つ。それは確かに必要な要素だが、J1では通じない。復帰後を見通すとあまりに心もとない。まずは守備の安定が急務だ。胸のすくようなクリーンシートの試合を見たい。

本田技研戦を伝える紙面。ドゥバイッチが同点弾を決めたが、直後に退場となってしまう

 1日はユアスタが仙台スタジアムとしてオープンしてから25年を迎える日だった。オープニングゲームがJFLブランメル仙台―本田技研戦だったというのは何とも奇遇な話だ。

 25年前のこの日、1万4000人を集めた試合は1―1のまま延長戦でも決着がつかず、PK戦の末にブランメルが敗れている。メンバー表を見ると松永成立、千葉泰伸、阪倉裕二と懐かしい名前が並ぶ。守りの要ドゥバイッチはこの試合後半ロスタイムに同点弾をたたき込んだものの、うれしさの余り広告看板を乗り越え2度目の警告で退場に。スタジアムの雰囲気がうかがえる。

 当時のブランメルはエルスナー監督の下でJリーグ参入を目指していた時期。Jバブルのさなかだったとはいえ、2万人規模のサッカー専用スタジアム建設は国内でも例が少なく、市民には懐疑的な声もあった。

 四半世紀を経て、ベガルタは文化として仙台の街にしっかりと根付いた。それは立派なスタジアムがあったからこそだろう。全国のスタジアムを見てきたが、アクセスの良さ、ゲームの見やすさで勝るところはない。「予算に限りがある中で、サポーターのためにも椅子だけは最高のものにこだわった」。建設計画に携わった当時の仙台市幹部からそう聞いたことがある。

 喜びも感動も、そして時に悲しみも与えてくれる。スタジアムは街にとってかけがえのない宝-。記念すべき一日にそう感じた。(編集局コンテンツセンター・安住健郎=04、05、13年ベガルタ担当)

スタンドの雰囲気を伝える紙面

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