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ベガルタJ2戦記(5)ガスパルの笑顔

 ベガルタ仙台は今季、J2から再出発した。抜け出すことの難しさから「沼」とも称されるこのリーグは、前回はい上がるまで6シーズンを要した。特に苦しい戦いが続いたのが降格1、2年目。当時の番記者として、戦力や経営面から苦闘ぶりを振り返ってみる。縁起でもないと感じる向きもあるかもしれないが、あえてここは英国の政治家チャーチルの言葉を引こう。
「歴史から教訓を学ばぬ者は、過ちを繰り返す」

2004~05年余録

 ベガルタは17日、敵地で首位横浜FCと対戦する。現在勝ち点差は6。今後の昇格争いを占う上で重要な一戦となる。序盤戦のヤマ場だ。

 チームは上り調子だ。3月下旬のホーム2連戦はいずれも3失点で2連敗を喫したが、ここ2戦はきっちり立て直して連勝を飾った。前節山口戦は前半早々にDF金太炫(キム・テヒョン)が退場する難しい展開にもかかわらず、カウンターからのゴールで突き放して逃げ切る教科書通りの戦いで勝ち点3をものにした。

 FW陣が好調なのが心強い。4ゴールの中山仁斗は残念ながらけがで離脱したが、穴を埋めた皆川佑介が甲府戦で先制点を奪うなど活躍を見せている。

 今季はこれぞストライカーというゴールが多い。山口戦の貴重な決勝点となった富樫敬真の得点も、相手を背負いながらターンして左足を振り抜く技ありの一発だった。優れたFWほどボールをもらってからシュートまでのイメージを描くのがうまい。非凡さを見せ付けた得点だった。

湘南戦で激しく競り合うガスパル=2004年5月2日

 2004年に時計の針を戻そう。シーズンを振り返って、どうしても忘れられない選手が一人いる。スロバキア人DFガスパルだ。

 ユース年代の代表経験があり、3バックの中央で守備の要としての役割が求められた。191センチの高さが武器。スピードには欠けるが、読みで勝負するタイプなのだろう。しかし、日本で実力を発揮するには大きな障害があった。言葉の壁だ。

 スロバキア語の通訳は数が少なく、ようやく付いたのはキャンプ終盤になってから。それも臨時で、仙台に戻ってくると再び身ぶり手ぶりの闘いを強いられた。

 ベルデニック監督のサッカーは強固な守備を基盤とする。センターバックの一人とは通訳なしでコミュニケーションしたいという意向で獲得した選手だった。スロベニア語とスロバキア語。確かに両方ともスラブ語系だが、2人が会話する姿を見ていると、どうも十分に通じ合っているようには思えない。

 ある日ガスパルに聞いてみた。監督の言葉ってどれくらい分かっているの?
 「30%くらいかな、たぶん」。ちょっと困ったように片言の英語で返された。衝撃の事実だった。

 性格は温和で真面目。クラブハウスではいつも日本語の辞書を手にしていたという。「日本で成長したい」と話していただけに、チームに溶け込もうと必死だった。通訳が帯同するのは試合がある週末だけ。金曜の練習後はGK高桑大二朗らと守備連係について遅くまで話し合っていた。

 シーズンは開幕2戦で9失点と最悪のスタートを切ったが、コミュニケーションが深まるにつれて守備は安定した。第9節の湘南戦で初の零封勝ちを収めると、続く山形との東北ダービーもスコアレスドローで勝ち点1を挙げた。

 白眉となった試合は11節の水戸戦だろう。開始早々にセットプレーから頭で先制点を挙げると、後半にもヘディングで追加点。相手DFの背後に回り込んでマークを振り切る巧みな動きだった。

水戸戦で先制ゴールを挙げるガスパル=2004年05月9日

 上背はあってもヘディングは得意ではなかったという。事実スロバキアリーグでは75試合で1得点のみ。1試合2得点には「自分が一番驚いている」。試合後、バックスタンドから沸き上がったガスパルコールに丁寧に腰を折って応えていた姿が性格を表している。「ここまでブーイングばかりで悲しかった。この声援は本当にうれしい」。満面の笑みで取材に答えていたのが印象的だった。

 「最も成長したのはガスパル」。ベルデニック監督もそう認めていたが、残念ながら仙台でのプレーはシーズン前半で終わってしまった。1年でのJ1復帰を目指すフロントはマケドニア代表主将で、クロアチアの強豪ディナモ・ザグレブで活躍していたセドロスキーを獲得。ガスパルは契約解除となった。

 離仙の際は仙台駅に多くのサポーターが集まり、握手を交わしながら新幹線に乗り込んだという。「とても温かい雰囲気で送り出すことができたよ」。立ち会った同僚サポーターも、あの笑顔が心に刻まれている。
(編集局コンテンツセンター・安住健郎)

水戸戦で2点目を挙げたガスパル。佐藤寿人(右)らと喜びを分かち合う

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