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「金融メルトダウンに最も近かった日」 徳陽シティ銀破綻25年、中曽宏・前日銀副総裁が振り返る

 宮城県を地盤にした徳陽シティ銀行(仙台市)が1997年11月26日に破綻し、間もなく四半世紀となる。山一証券など金融機関の大型破綻が連続し「暗黒の11月」と言われた当時、日銀信用機構課長として金融危機対応の最前線にいた前日銀副総裁の中曽宏・大和総研理事長が河北新報社の取材に応じた。徳陽シティの破綻当日を「日本の金融システムがメルトダウン(炉心溶融)に最も近かった日」と振り返った。
(報道部・菊間深哉)

[なかそ・ひろし]東大経済学部卒。1978年日本銀行入行。国内外の金融危機対応を長く指揮。国際決済銀行(BIS)市場委員会議長を7年間務めた。2013年副総裁。日銀に常時詰めるような働きぶりから「本籍日本橋本石町」「眠らぬ市場の番人」との異名も。18年から大和総研理事長。5月に著書「最後の防衛線 危機と日本銀行」を出版した。東京都出身。69歳。

1週間置きに破綻

 11月25日の夜は非常に鮮明に覚えている。徳陽シティの前に三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券がほぼ1週間置きに破綻した。破綻処理に対…

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