女川・出島、悲願の架け橋 開通へ(2) 生活 利便性向上、命を守る道
女川町の離島・出島に架かる出島架橋が開通すると、島と町中心部は車で15分の距離になる。陸路の完成は医療のアクセス向上に直結する。
1948年から島内にあった診療所は東日本大震災後に廃止された。現在は町地域医療センターの医師らが月1回、船で島に向かい、集会所で住民を診察している。開通後は島民の車での通院を見越し、島への往診を終える見込みだ。
■震災後、医師不在
出島架橋促進期成同盟会の須田勘太郎会長(83)は45年前、70代だった父の勘右衛門(かんうえもん)さんを肺炎で亡くした。その日は診療所に医師がおらず、船での搬送も悪天候に阻まれた。
「橋があれば助かったんじゃないか」。須田会長は心に持ち続けた思いを語る。「離島ゆえに、他にもそういう家はあったと思う」。橋が島民の命を守る道になることを願う。
島には商店がなく、飲み物の自動販売機が港に1台あるのみだ。島民の買い物の足は第三セクター「シーパル女川汽船」が運航する定期航路。同じ離島の江島も結び、島を訪れる釣り客や業者も運ぶ。1日平均35人程度が利用するが、運航は1日3便しかない。
女川汽船は2005年、それまで定期航路を担っていた民間業者の撤退を受けて設立された。年間利用者は震災で運休するまでおおむね7万人を超えていたが、通常運航を再開した13年以降は2万人前後で推移。23年は約1万3000人だった。
島内の寺間地区の行政区長も務める女川汽船の須田菊男代表取締役(74)は「橋があれば病院や買い物にすぐに行けるようになり、島に通う漁業者も楽になる。ようやく架かってありがたい」と喜ぶ。
■航路維持に不安
橋の開通後、定期航路は出島の2カ所の港を経由せず、本土と江島のみを結ぶ。「運航資金となる離島振興の補助金は橋が架かれば減額されるだろう。江島への船を今まで通り運航できるだろうか」。須田代表は残る航路の維持に不安も抱く。
出島の二つの行政区は、町内を走る町民バスの島への乗り入れを要望し、町が検討を進める。
島に住む60代の主婦は月に1度、石巻市の病院に通う。現在は定期航路からJR石巻線に乗り換えているが、橋の開通後は船の時間に縛られず移動できるようになる。利便性の向上を歓迎する一方で、女性は「島にバスが走るなら、列車との接続を良くしてほしい」と生活実態に合った交通の便の確保を望んだ。
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