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ミイラが戦時中に宮城を巡回!? 謎の2人組が小学校30校訪問 宮城学院女子大生が調査、大学祭で紹介へ

 戦時中、宮城県内の小学校を「ミイラ」が巡回していた-。宮城学院女子大(仙台市青葉区)の大平聡特任教授のゼミの学生たちが、ミステリーのような話の謎解きに挑んでいる。ミイラの正体は? ミイラを運んだ2人組の足跡は? 12、13日の大学祭で、これまで判明した事実を紹介し、情報提供を呼びかける。(せんだい情報部・菅野俊太郎)

ミイラの記録が残る場所を地図で示す阿部さん

 大平氏らの調査によると、男性2人がペルーのミイラとされる3体を車に載せ、1942年5月4日の坂元国民学校(現山元町)を皮切りに、大張国民学校(現丸森町)などを経て、7月8日の新城国民学校(現気仙沼市)まで、県内を北上するように30校を訪れた。当時の学校日誌の記述から判明した。

 学校日誌によると、2人は自称「説明員」と「外交員」で、「埼玉県大宮市 菊地一」という住所と名前の記載もあった。謝礼金4円を支払った学校もあった。

 戦時下の教育に詳しい大平氏は県内の学校日誌を調べていて、ミイラに関する記述を発見。2012年からゼミ生らと共に調査を進め、150校以上の日誌を確認した。仙台市内には日誌などが残っていないものの「娯楽の少ない農村部を中心に、燃費などを考慮して平たんな地域を巡ったのではないか」と推察する。

「ミイラ三体」などの記述がある大張国民学校の1942年5月8日の学校日誌(宮城県丸森町教委提供)

 大平氏は「ミイラが今どこにあるかや、2人組の素性、燃料の調達方法など、庶民の生活史の観点からも気になる点が多い。当時、実物を見たという人がいればぜひ、話を聞かせてほしい」と語る。

 本年度の調査は学芸学部1年阿部和花さん(19)ら5人がかかわる。阿部さんは「戦時中の大変な時期に、ミイラを運んで回った人たちがいたことに驚いた。石巻市など、まだ調査に着手していない地域も調べたい」と話す。

 大学祭の展示では、当時の学校日誌11校分のパネルを並べ、足取りを紹介。希望者には全30校の日誌の画像も見てもらう。

 両日とも午前10時~午後4時、講義館503号室の人間文化学科のブースで展示する。入場無料。

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