かつて東北を走った特急「ひばり」の食堂車、盛岡から石川へ きっかけは能登地震
1960~80年代に東北を走った特急列車「国鉄485系」の食堂車で、国内で唯一盛岡市に現存している「サシ481形」が、昨年の能登半島地震を機に石川県小松市のNPO法人へ譲渡される。40年近くを共にした盛岡市の山崎賢一さん(71)は寂しさを感じつつ「能登の復興に役立ててほしい」と願う。(盛岡総局・島形桜)
出張の楽しみは「温かい食事」
盛岡市西部の県道沿いに、雪をかぶった車両6両が並ぶ。そのうち1両が72年に製造された食堂車サシ481形だ。車両番号の「481-48」が記されている。
485系は雪や寒さに強く、82年に東北・上越新幹線が開業するまで東北と東京を結んだ「ひばり」(上野-仙台間)「やまびこ」(上野-盛岡間)「はつかり」(上野-青森間)などで使用された。新幹線で乗車時間が短縮され、食堂車は次第に減っていった。
サシ481形を所有・管理するのは、盛岡市で設計事務所を営む山崎さん。やまびこに乗った東京出張を懐かしむ。「まだ新幹線がなく、6時間以上の長旅。帰りに食堂車で温かい食事を食べたり飲んだりするのが、一番の楽しみだった」
87年に国鉄が民営化され、サシ481形はJRに引き継がれず廃車となった。旧国鉄清算事業団に売却され、民間への払い下げが進んだ。山崎さんは青森まで見学へ出向き、愛着のあった食堂車両を思い切って購入。設備を生かして盛岡で軽食喫茶をオープンし、平成初期までにぎわった。
国内唯一現存、保存活用の申し出
第二の人生を終えたサシ481形に再び転機が訪れる。2023年12月28日、小松市のNPO法人「北国鉄道管理局」代表の岩谷淳平さん(49)が、食堂車を保存活用できないかと、山崎さんを訪ねた。
法人は北陸の鉄道遺産を後世に残そうと06年に設立。「乗りもののまち」として知られる小松市のシンボルで、国鉄のボンネット型先頭車両「クハ489-501」の保存活用などに尽力し、車両の補修や復元にも実績があった。
岩谷さんがサシ481形に足を踏み入れると、屋根や床が腐食するなど老朽化が著しかった。それでも「携わった人々の思いが詰まった最後の1両。何としても現役時代の姿によみがえらせたい」と心を決めた。
所有者の男性「復興に役立てて」
4日後の24年1月1日、能登半島地震が起き、小松市も震度5強の揺れに襲われた。山崎さんは岩谷さんに連絡を入れた。「震災復興には長い時間がかかる。石川の復興に、この食堂車を役立ててもらえないか」。譲渡に前向きだったが、「車両を後世に残したい」との思いをさらに強くし、踏ん切りがついた。
車両の輸送と保存に向け、岩谷さんはすぐにクラウドファンディング(CF)を始めたが、震災直後で達成できなかった。昨年12月に500万円を目標額に再開。今月31日まで専用サイト「レディーフォー」で募る。返礼品には車内プレートのレプリカや撮影会の参加権利などを用意した。
輸送後は、保存している先頭車両にサシ481形を連結して活用し、未来につなぐ考えだ。岩谷さんは「東北から輸送し、北陸の事業者の手で車両をよみがえらせることで、復興につながると信じている。車両の新たな人生を応援してほしい」と呼びかける。
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