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「大切な命、必ず生きて」 宮城のベテラン警察官、震災で遺体に向き合った経験を語る

来場者に「生きて守れ」と呼びかけた菅原さん=1月30日、仙台市青葉区

 東日本大震災当時、宮城県警気仙沼署に勤務していたベテラン警察官が1月30日夜、仙台市内であった会合で自らの経験を語った。仙台南署刑事官の警視、菅原仁さん(57)。遺体安置所で多くの遺体と向き合い、殉職した同僚の検視も担った。約150人を前に「必ず生きる」ことの大切さを訴えた。

 気仙沼署刑事課の捜査係長として勤務中に被災し、翌日から遺体安置所となった市内の体育館で検視作業に当たった。泥にまみれた遺体をプールの水で洗い、身長や手術痕などを記録。身元特定のため爪や歯などを採取した。

 身元不明の遺体が次々と運ばれ、多い日には1日100体以上を検視した。刑事畑が長く、慣れていたつもりだったが、顔なじみの住民の検視や、遺族への説明は断腸の思いの連続だった。水も電気も途絶える中、夜明けから日暮れまで作業する日は3月末まで続いた。

 震災翌日に見つかった大谷駐在所長の千田浩二巡査部長=当時(30)=は住民を避難誘導中に命を落とした。人気刑事ドラマの主人公をまね、緑色のジャンパー姿で防犯講話をするなど、明るい性格と仕事ぶりで周囲から慕われた。

 「一日も早く刑事に戻ってバリバリ犯人を捕まえたい」と話していた若手は、歯を食いしばったような表情だった。震災当日の午前中も「事件、手伝いますよ」と署に顔を出していた。熱心な後輩の変わり果てた姿。「なぜこんなにいいやつが亡くなるのか。無念だったろう」。震える声を振り絞りながら語った。

 「震災から数年は思い出したくない気持ちが強かった」という。その思いが消えることはないが、月日が経過する中で心境に変化が生じた。「災害の犠牲者を減らすため、経験したことを伝える責任がある」

 仙台南署は本年度、震災経験の伝承に力を入れてきた。若手署員らには「必ず生きろ。警察官が亡くなっては、救える命も救えない」と伝えてきた。

 今回の講話は菅原優署長から提案された。聴衆には一般の人もおり、警察官以外の前で話すのは初めてだった。「警察官でも一般の方でも、命と備えの大切さは変わらない」との思いで応じた。

 震災から間もなく14年。菅原さんは避難経路や連絡手段の確認、食料の備蓄など平時からの備えを呼びかけ、真っすぐ前を見て語りかけた。「皆さんの命は家族や同僚にとっても大切な命。どんな災害であっても犠牲になることなく、必ず生きてほしい」

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