遺児(2)木村舞雪さん 振り袖姿を亡き家族に

東京の専門学校に通う木村さん。亡き母が得意だったお菓子作りを学ぶ=2020年12月、東京都

 家族の誕生日は、いつも母の手作りケーキで祝った。パレットナイフに付いた生クリームを妹とぺろっとなめた。甘さを今も覚えている。

 福島県大熊町出身の木村舞雪(まゆ)さん(19)は東京の製菓専門学校に通う。平日はケーキやパン作りを学び、休日はスイーツ店巡りやショッピングを楽しむ。

 飲食業界に進むと決めたのは東日本大震災の後だった。お菓子作りが得意で、調理師として学校給食を作っていた母の影響だ。

 震災当時、熊町小の4年生だった。海岸から約150メートル離れた自宅は津波にのまれて土台だけになった。母深雪さん(37)、妹汐凪(ゆうな)さん(7)、祖父王太朗(わたろう)さん(77)=年齢はいずれも当時=が亡くなった。

 祖父は2011年4月、母は6月に遺体の身元が確認された。行方不明だった妹は16年12月、自宅近くで歯と顎の骨の一部が見つかった。避難先から毎月、捜索に通い続けた父紀夫さん(55)の執念が実った。

 東京電力福島第1原発事故による避難指示で満足な捜索ができないまま、父、祖母と共に川内村の公民館、埼玉県と岡山県の親戚宅を転々とした。「どうしてお母さんたちがいないんだろう」。避難中は家族のことで頭がいっぱいだった。

 小学6年の時、父と長野県白馬村に引っ越した。母の実家がある岡山と福島に行き来がしやすく、父が「放射能について考えずに過ごしたい」と選んだ。

 時折、3人が津波にのまれる瞬間を想像する。「頭とか打ったのかな」。いつの間にか涙がこぼれる。

 約300キロ離れた白馬村から毎月、車で6時間以上かけ、2人で大熊町へ向かった。高校3年になってからは毎週のように通った。

 父が妹を捜す間、祖母が入居したいわき市の災害公営住宅で過ごした。「自分も行きたい」と頼んだが、被ばくを心配する祖母に止められた。

 震災後、初めて大熊町に入ったのは19年8月25日。妹の誕生日だった。捜索を手伝ってくれる父の仲間たちと、妹が大好きだったアニメ映画「崖の上のポニョ」の主題歌を太鼓や鍵盤ハーモニカで演奏した。生きていたら妹は16歳だが、7歳で時が止まったままだ。

 人生のちょうど半分を県外で過ごした。自宅跡地の周辺は今も帰還困難区域。許可証がないと入れないが、唯一の古里は福島だ。妹とバドミントンをして遊んだり、宿題をせず母に叱られたり。思い出がたくさんある。

 2月で20歳になる。昨年5月、いわき市でカラフルな振り袖をレンタルし、近くの海に向かった。「海に行けばお母さんたちが成長した自分を見ているかなと思って」。愛犬と海岸線を歩き、記念写真を撮った。

 楽しみにしていた成人式は新型コロナウイルスの影響で延期になった。ちりぢりになった友達と会える貴重な機会だけに、必ず参加するつもりだ。

 銀座のパンケーキ店に就職が内定している。早く一人前になって、父や祖母においしいパンケーキを振る舞うのが目標だ。

 独り立ちの春が近づく。
(横川琴実、川村公俊)

自宅跡地で、汐凪さんの誕生日を歌で祝う木村さん(右)と父紀夫さん=2019年8月25日、大熊町
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