遺児(3)赤間仁美さん 教壇から「備え」伝える

子どもたちに震災の経験や備えの大切さを伝える赤間さん=2020年12月、横浜市

 「東日本大震災を振り返るのは先生も苦しい。でも、みんなに伝えたい。命はかけがえのないものだから」

 昨年12月中旬、横浜市金沢区の市立大道(だいどう)小。社会の授業で、4年2組担任の赤間仁美さん(25)が25人の児童に語り掛けた。

 赤間さんは宮城県名取市閖上地区の出身だ。高校1年の時に震災に遭った。自宅は全壊。母哉子(ちかこ)さん(50)、近くに住む祖母八重子さん(79)、曽祖母くにゑさん(94)=年齢はいずれも当時=が津波で帰らぬ人となった。

 宮城教育大を卒業した2017年春から横浜で教壇に立つ。大道小は海岸から約1・5キロ。近くに川が流れ、敷地は災害時の浸水想定区域に含まれる。南海トラフ巨大地震が予測される中、「被災地以外の子どもたちにこそ教訓を伝えたい」と思っている。

 この日の授業は登下校中や放課後、知らない土地など、学校外で地震に遭った際の行動がテーマだった。前の週にあった避難訓練を踏まえて話し合った。

 「公園に行く」

 「高い所に逃げる」

 児童が次々に発言する。

 「情報を得る手段も大切。先生の地元では防災無線が鳴らなかった。いろんな想定を考えて行動しないと命は守れないよ」。赤間さんの言葉に力がこもる。

 閖上小6年の時の担任に憧れて教員を志した。夢の実現に向け、背中を押してくれたのが母だった。料理が得意。郷土料理のはらこ飯は絶品だった。「大学生になったら(料理を)たくさん教えるよ」。震災数日前に言ってくれた。

 震災から1年間は「生きていた記憶がない」くらい暗いトンネルの中にいた。通学のバスでも涙があふれてくる。支えは父や弟、友人や先生の存在だった。普段通り接してくれたバレーボール部の仲間は「つらかったらいつでも泣いていいよ」と気遣ってくれた。

 長く母の写真を見ることさえできなかった。直視できるようになったことに気付いたのは昨夏だった。

 震災を記憶している教え子はほとんどいない。聞きたいこと、自分が教えられることは何だろう。被災者の一人、教員として日々考え続ける。

 震災時の経験談を聞いて涙ぐむ児童がいる。訓練に真剣に取り組む子が格段に増える。クラスの斉藤成志君(10)は「災害が起きたらどれだけ大変なのかを感じ、命の大切さが分かった」。父親とけんかした時、赤間さんの話を思い出し、素直に「ごめんなさい」と言えたと保護者が教えてくれた。

 授業の下調べで関連資料を見返すのはつらい。それでも備えの重要性は伝えたい。子どもたちの未来のための努力は惜しまない。

 手探りで震災を伝え続ける赤間さんが、児童に話しているエピソードがある。

 あの日、哉子さんにあいさつしないまま家を出てしまった。今も悔やんでいる。「行ってきます」。そう言える毎日は、決して当たり前じゃない、と。
(菊池春子)

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