「震災10年 あしたを語る」作家・クリエイター いとうせいこうさん 死者への思い、未来描く力に

2017年のインタビューに応じるいとうさん。現在は「被災学」を提唱している

 日常を根底から揺さぶり、多くを奪った未曽有の災禍に時が積み重なる。東日本大震災から間もなく10年。あの日を境に私たちの社会は何が変わり、何が変わらないままなのか。「復興」の先にはどんな未来を描けるのか。東北にゆかりの深い著名人が語る。

 <東日本大震災から2年後の2013年、小説「想像ラジオ」を発表。津波で犠牲になった男性が、ラジオのディスクジョッキーとして語る物語だ>
 震災からしばらくして、宮城県沿岸部の被災地に入った。夜は光のない小さな町。車で移動していて信号で止まった際、暗闇から人の声が聞こえる気がした。まるでラジオで話しているかのような。
 そこは、住民が「あの杉の木に津波で亡くなった人が上がっていた」と話していた場所。その犠牲者の声を代弁しなくちゃいけないのではないか。そんな思いが湧き上がってきた。その声を拾うことは科学者もマスメディアもできない。できるのは文学。小説には死者の声を届ける回路がある。
 <小説は亡き人の言葉を通し、今に生きる私たちに死者とどう向き合うのかを考えさせる>
 生きている人間は、目の前の現実に目を奪われがち。でも死者のことを考えることで、理想を語ることができる。例えば「亡きあの人がもし今いたら、こうしたのではないか」と考える。それは理想を思い描くと同時に想像する力にもつながる。私たちは現実と理想を見据えながら、社会をつくっていく必要がある。
 目に見えない死者には、亡き人のほか、まだ生まれていない「未生の人」も含まれる。10年後、50年後、100年後の世をどのように築くのか。死者に思いをはせることは、未来を考えることにもつながる。
 死者は世俗を超越した倫理としても存在する。われわれは彼らに自分を投影し、厳しく自らを律したり、優しくなったりできる。眼前の利益だけを考えるような世の中で、想像力がやせ細り、格差が生まれ、敗者が切り捨てられる。死者と共に生きるという思想が今、求められている。
 <近年は文芸誌で「福島モノローグ」を連載。震災や東京電力福島第1原発事故の被災者を訪ね歩き、話を聞き書きした>
 発信したいことは「想像ラジオ」で形にできた。今度は自分がリスナーになろうと考えた。東北の被災地に暮らす人たちには「東京の人はもう、震災に関心がない」との思いが強くある。「そんなことはないよ」と伝えたい。
 時間がたつにつれ、被災者の語りも変わる。その話に耳を傾ける行為がいかに大切か、聞き書きで感じた。今後も長く続けたい。
 震災当時を知らない子どもたちが、被災地で育っている。周りからは当事者のように見られ、実は非当事者という立場だ。当事者、非当事者にかかわらず、震災を語り継ぐ空間もつくらなくてはならない。
 <仙台で以前あったシンポジウムで「被災地100年構想」と「被災学」の確立を呼び掛けた>
 地震や津波に限らず、洪水や台風など、世界中で災害が起きている。では、人類にとって被災するとはどういうことなのか、どう立ち直るのか。心の傷、放射能の問題はどうするのか。震災10年の節目に「被災学」を創設し、課題を100年かけて考えていかなくてはいけない。
 それは東北から出てくるべきだ。今年はその始まりの年であって、終わりの震災10年にしてはならない。
(聞き手は古関良行)

[いとう・せいこう]1961年、東京都生まれ。早稲田大法学部卒。出版社勤務を経て、作家、クリエイターとしてテレビや映画でも活躍。88年に小説「ノーライフキング」で作家デビュー。「ボタニカル・ライフ」で講談社エッセイ賞、「想像ラジオ」で野間文芸新人賞。2月に「福島モノローグ」を刊行予定。日本語ラップミュージックの先駆者としても知られる。

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