「震災10年 あしたを語る」ヤクルト捕手 嶋基宏さん 被災地支える気概揺るがず

「被災地のことを考えられる仲間を増やせたら、うれしい」。ヤクルトでも捕手としてプレーする嶋さん=2020年10月、神宮球場

 日常を根底から揺さぶり、多くを奪った未曽有の災禍に時が積み重なる。東日本大震災から間もなく10年。あの日を境に私たちの社会は何が変わり、何が変わらないままなのか。「復興」の先にはどんな未来を描けるのか。東北にゆかりの深い著名人が語る。

 <東日本大震災が発生した当時、プロ野球東北楽天の選手会長だった嶋基宏捕手は、ヤクルト移籍後も被災地の動向を気に掛けている>
 もう10年たつのかという印象。最近はあまりニュースで報じられないし、ほとんどの人が少しずつ、忘れつつあるような気がする。
 2011年3月11日、東北楽天の1軍は兵庫県明石市でオープン戦のさなかだった。試合は途中で打ち切られ、宿舎に戻った選手、スタッフは必死に家族の安否を確認した。当時は子供がおらず、東京の実家にいた妻に連絡したが、電話はつながらなかった。とんでもないことが起きた。野球をやっていていいのだろうか。時間の経過とともに、その思いが大きくなった。
 <星野仙一監督(当時、故人)の考えの下、選手は気持ちの整理ができるまで発言を控えることになった。4月2日、札幌ドームであった慈善試合。チームの思いを込めたスピーチは多くの人の心を打ったが、嶋捕手自身は苦しめられるようになった>
 見せましょう、野球の底力を。見せましょう、野球選手の底力を。見せましょう、野球ファンの底力を。共に頑張ろう、東北。支え合おう日本。
 このスピーチには日本野球機構(NPB)が用意した原稿もあったが、被災地の球団としてメッセージ性の強いものにしたかった。被災者と一緒に闘う思いを伝えたいと「底力」「見せましょう」といった言葉を一つ一つ選んでいった。
 広報担当と何度も推敲(すいこう)を重ね、予想以上の影響力を持った。今はそうではないが、当時は言わなければ良かったと思っていた。
 勝たなければ、打たなければという大きな重圧があった。前年3割1分5厘だった打率はその年、2割2分4厘に落ちた。チームも5位と振るわなかった。スタンドからやじが飛んだ。
 <13年、ついにチームは球団創設初のリーグ優勝、日本一の栄冠を手にする>
 家族も自宅も失った人がいる一方で、自分は仙台で不自由なく暮らし、野球に打ち込める。震災直後は申し訳ないという気持ちを払拭(ふっしょく)できなかった。だが、優勝して被災地が歓喜に沸く姿を見て「俺たちは野球でしか、勇気を与えられない」という星野さんの言葉が胸に染みた。被災地との約束を果たすことができて、だいぶ肩の荷を下ろせた。
 <ヤクルトへの移籍で昨年、東北を離れたが、被災地を代表する選手としての決意は揺るがない>
 毎年、シーズンオフには野球教室などを通じて被災者を元気づけている。実際に現地に足を運ばないと、現状は分からない。震災を知らない若い選手にも、現地に行って何かを感じてほしい。被災地のことを考えられる仲間を増やせたら、うれしい。
 所属チームは変わったが、僕は絶対に震災を忘れない。
(聞き手は狭間優作)

[しま・もとひろ]1984年、岐阜県生まれ。2007年、国学院大から東北楽天に入団。球界を代表する捕手、チームの精神的支柱として活躍し、13年にはチームを初の日本一に導く。東北楽天に在籍した13年間で通算1402試合に出場。20年にヤクルトに移籍。

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