日常を根底から揺さぶり、多くを奪った未曽有の災禍に時が積み重なる。東日本大震災から間もなく10年。あの日を境に私たちの社会は何が変わり、何が変わらないままなのか。「復興」の先にはどんな未来を描けるのか。東北にゆかりの深い著名人が語る。
<「東日本大震災が指導者人生の転機になった」と振り返る。震災当時はサッカーJ1仙台の監督。ホーム開幕戦に臨む前日、仙台市内のクラブハウスで巨大地震に遭った。激しく揺れる部屋から、チームスタッフと共に必死で逃げた>
これは神様が与えた試練だと感じた。せっかく仙台を苦労して昇格させたのだから、震災を理由にJ1で躍進できないと考えたくなかった。被災地のチームになったからこそ示せる役割があると信じた。「逃げてもくじけてもいけない」と思い、翌日にはクラブハウスの掃除から始めた。
<先が見えない中、集まった選手たちを「被災地の希望の光になろう」と鼓舞した。4月23日にリーグが再開。仙台は川崎に2-1で劇的な逆転勝利を挙げ、駆け付けた多くのサポーターと歓喜を分かち合った>
選手には「無念にも命を亡くした人たちの分まで被災地のために走らないといけない」と伝えた。選手も呼応し、大学生との練習試合では体力を余らせずに攻め立てる姿勢を見せてくれた。
川崎戦では先制されたが、選手たちに焦りはなかった。疲労で脚がけいれんするまで走り切り、勝てたことで大きな自信が生まれた。自分たちが震災を乗り越えようとする方々の勇気や希望の存在になり得ると信じ、成績が上がっていった。
<2011年は4位、12年はクラブ史上最高の2位に躍進した。指導力を日本サッカー協会に評価され、14年からU-21(21歳以下)日本代表監督(後にU-23監督)に転じた。「谷間の世代」と言われた選手たちを育て、2年後の16年リオデジャネイロ五輪出場に導いた。原動力となったのは、震災の経験で培った逆境にくじけない反骨心だった>
J1で優勝して被災地に記念のシャーレ(皿)を届ける目標は果たせなかった。それでも、個人的に代表活動に関わることも被災地の希望になればいいという思いで引き受けた。
外部がつくった「勝てない」という雰囲気の中で仕事をしなければならなかった。集まった選手を「世界を知らない者同士で日本中を驚かせようぜ」と励ました。
<18年にはフル代表のコーチとしてワールドカップ(W杯)ロシア大会に出場。2大会ぶりのベスト16入りを果たした。その後、J2長崎の監督を2季務め、今季、仙台の監督に復帰した。J1の18チーム中17位と低迷し、経営危機にも苦しむチームの再建に乗り出す>
予選で厳しい戦いが続き、当時のハリルホジッチ監督が退任し、波乱の船出となったW杯の時も、仙台で苦労した経験の方が自分には大きかった。震災のつらさに比べれば何でも乗り越えられると思った。苦労を買って出る方が自分の性に合っているようだ。
仙台の低迷は悲しい出来事。震災から10年たっても、東北にはまだ苦しむ方が多くいることを知らせているものと捉えている。だからこそ、指導者としてスポーツを通じて躍進する姿を社会に示す使命を果たしたい。
(聞き手は原口靖志)
[てぐらもり・まこと]1967年、青森県五戸町生まれ。青森・五戸高から86年に住友金属(現J1鹿島)に加入し、NEC山形(現J2山形)を経て95年に引退。2004年から仙台でコーチを務め、08~13年は監督。リオデジャネイロ五輪男子代表監督や日本代表コーチを歴任。J2長崎監督を経て、今季から仙台監督に復帰。
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