鈴木省三(すずき・しょうぞう)さん―郷土史家(岩沼市)―旧仙台藩 庶民の姿紹介

歌枕「武隈の松」を詠んだ2首を鈴木が万葉仮名で記した歌碑=岩沼市の二木の松史跡公園
鈴木が編集主任として手掛けた仙台叢書=岩沼市民図書館ふるさと展示室
鈴木省三

 宮城県岩沼市出身の鈴木省三(1853~1939年)は宮城を代表する郷土史家の一人だ。あるいは、晩年に名乗った「雨香(うこう)」の方が有名かもしれない。旧仙台藩の史料を集めた「仙台叢書(そうしょ)」の編集を手掛け、幕末や明治の庶民の姿を記録した「仙台風俗志」を著した。
 仙台叢書は本編12巻、別巻6巻、別集4巻の計22巻で、今も郷土史研究に欠かせない。鈴木は70歳となる1922(大正11)年、仙台叢書刊行会の編集主任に起用された。29(昭和4)年の休刊まで、多くの文献から価値の高い史料を収集した。
 「当地における出版事業の一大金字塔を打ち立てた文化遺産であり、後学に与えた有形無形の恩恵はいまなお、燦然(さんぜん)と光を放っている」。鈴木の研究に取り組む仙台郷土研究会長の吉岡一男さん(87)=仙台市太白区=は仙台叢書の業績を高く評価する。
 代表作「仙台風俗志」は、鈴木が亡くなる2年前の37(昭和12)年に出版された。仙台叢書で取り上げなかった旧仙台藩の民俗学的分野に焦点を当て、衣食住や教育、年中行事などを幅広く紹介した。直筆の挿絵入りで、一般の読者にも分かりやすく工夫してある。
 鈴木は藩制時代の岩沼領主・古内家に仕える医師の家系に生まれ、医学の道を志した。東大医学部を卒業後、仙台を拠点に医師、薬剤師として活躍。1895(明治28)年、県警察部保安課に登用されると、当時流行していたコレラや天然痘、赤痢などの感染症対策で県内各地を奔走した。
 衛生課長に昇進し、充実した日々を送っていたが、前半生は間もなく暗転する。妻が心の病にかかり、因果関係は不明ながら、1900(明治33)年に衛生課長を免職となるなど憂き目に遭った。
 「余は水に離れたる河童(かっぱ)、木より落ちたる猿となれり。蓄財もなく月収はなし。生活に窮したり」。鈴木は自らの生涯を記録した「雨香年譜」に、当時の窮状をこうつづっている。
 その後、郷里の岩沼に戻って医院を開業し、近隣の病人を助ける傍ら、暇を見つけては郷土史や書画の勉強に打ち込んだ。64歳となった16(大正5)年に再び転機が訪れ、知人を頼って松島町に居を移した。瑞巌寺で若い僧侶に漢学などを講義しつつ、郷土史家として本格的に活動を始めた。
 郷土史研究だけでなく、医学や漢学、書画など多方面で才能を発揮した鈴木。吉岡さんは「不遇な中でも孤高を貫いた文人だった」と思いをはせる。
(岩沼支局・小沢一成)

[メモ]鈴木が60歳の還暦から名乗った「雨香」は中国・唐代の詩人、元〓(げんしん)の詩に由来する。達筆で知られ、県内各地に鈴木が揮毫(きごう)した石碑が残されている。岩沼市二木の二木の松史跡公園には、歌枕「武隈の松」を詠んだ2首を万葉仮名で記した歌碑がある。

〓は のぎへんに真

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