<あなたに伝えたい>再避難 運命を分ける

墓前で手を合わせる(左から)保さん、博さん、直人さん親子=1月31日、名取市閖上の観音寺墓地

樋口博さん(宮城県名取市)からつる子さん、勝江さんへ

 名取市美田園の無職樋口博さん(77)は東日本大震災で母つる子さん=当時(88)=、妻勝江さん=同(65)=を亡くした。2人は地震後に避難した市閖上公民館から閖上中に再避難している間に、津波にのまれたとみられる。
 博さんは1969年2月、勝江さんと見合い結婚し、樋口家に婿入りした。「三歩下がって私を立ててくれる家内だった。でも、手のひらの上で泳がされていたんだ」と目を細める。
 つる子さんと勝江さんは旅行が好きだった。震災の1カ月前にも博さん、長男保さん(50)と一緒に、気仙沼市など沿岸部のドライブを楽しんだ。博さんは「おふくろはいつもニコニコ、朗らかで、人当たりが良かった」としのぶ。
 平穏な暮らしが一変した2011年3月11日。博さんは高校時代の同級会があった仙台市中心部で大地震に遭遇し、慌ててタクシーで名取市閖上2丁目の自宅に戻る途中、閖上大橋の手前で津波に巻き込まれた。
 車体に家の柱や木の根などがぶつかりつつも仙台東部道路付近で救助された。東北自動車道仙台宮城インターチェンジ(IC)の管理棟に避難し、すぐさま勝江さんに電話した。全く通じなかったが、「まさか犠牲になるとは予想もしなかった」。
 地震発生から約20分後の午後3時5分ごろ、保さんの携帯電話に勝江さんから「たいへんなこと」という平仮名のメールが届いていた。これが最後の消息となった。
 3月下旬、つる子さんと勝江さんの遺体が相次いで見つかった。名取市内の安置所に運び込まれたばかりの勝江さんを確認したのは次男の直人さん(45)で、その日はくしくも自身の誕生日の3月28日だった。
 周囲の話によると、亡くなった2人は地震後に避難した閖上公民館で「いっぱいだから」と言われ、閖上中への再避難を促されたとみられる。博さんは「天災だと思っていたが、人災だと思ってしまう」と歯がみする。
 貞山堀の西側にあった自宅は流失したため14年2月、内陸の美田園地区に再建した。その3年後には自宅跡に近い閖上地区の観音寺墓地に墓を建て直した。博さんは2人への恩返しの思いから、毎月11日の月命日に墓参りを欠かさない。
 「樋口家を守っていくのは、これでいいのか。至らないところをどんどん指摘してくれや」。心の中でそんなことを語り掛けている。
(岩沼支局・小沢一成)

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