「あの日から」第10部 軌跡(1) 大槌・三浦憲さん 家族の分まで生き抜く

家族5人が描かれた慰霊碑を丁寧に拭く三浦さん=2月24日、大槌町

 被災者にとっての東日本大震災からの10年は、決して復興へと向かう力強い歩みだけではなかった。癒やしようのない喪失感を抱き、時として希望のないあすを待つ。一歩、また一歩。懸命に刻んだ人生の軌跡をたどる。

 午後3時23分-。壁掛け時計は地震発生から37分後で止まったままだ。岩手県大槌町の会社役員三浦憲(あきら)さん(63)が、津波で大破した自宅で見つけた。

 妻裕子さん=当時(52)=と母洋子さん=同(78)=を失った。出産のため東京から帰省していた長女代子(のりこ)さん=不明当時(27)=と長男で生後1カ月の良介ちゃん、大学院進学を控えていた次女央子(ひろこ)さん=同(22)=の3人は今も見つかっていない。

 母は2011年9月に身元が特定された。裕子さんの遺体を昨年9月に引き取り、納骨した。

 「もう少し家族のために何かしてやりたかった。後悔しかない」

 三浦さんは県内各地でパチンコ店や飲食店などを展開するカネマン(盛岡市)の会長を務める。震災当時は社長で、自宅に帰るのは1カ月のうち3分の1程度。家事や子育ては裕子さんに任せっきりだった。家族で旅行した記憶もほとんどない。

 あの時も盛岡市で仕事をしていた。千葉県で働く長男崇さん(34)から「大槌がなくなっている」と連絡を受けた。いつも使っていた道路は通行止め。翌朝、別ルートでたどり着くと、自宅があるはずの町中心部は海に沈み、あちこちから白い煙が上がっていた。

 捜索、仕事、捜索、仕事の繰り返し。家族を必ず見つけ出し、従業員を守り、復興に貢献する-。使命感で体を無理やり動かし続けたが、心は限界に達した。不眠症になり、錯乱状態に陥って幻覚を見たり、包丁で自分を傷つけようとしたりした。

 12年に「震災そううつ病」と診断された。一時は10種類以上の薬を服用するほど悪化し、体重は20キロ減った。神奈川県の精神科の閉鎖病棟に3カ月間入院した。

 被災地から離れたことで一時的に症状が緩和し、遺骨は縁があったら帰ってくるだろうと思えるようになった。だが、退院後も気分の上下や悪夢は続いた。崇さんが社長を継ぎ、自身の業務量が減っても毎日出社した。何かしていなければ平静を保てなかった。

 症状が落ち着き始めた18年秋ごろ、岩手県警から「裕子さんらしき遺骨がある」と連絡が入った。

 火災による焼損でDNA型鑑定はできなかったが、顎の骨格や三つ編みにした髪形などが一致したという。遺体の発見場所も自宅近く。県警は約1年かけて他の身元不明遺体とも比較し、裕子さんと断定した。

 本当に妻なのか、それでも確証が持てなかった。大槌町の遺体安置所を回り、女性の遺体は全て確認していたからだ。

 岩手医大に再度DNA型鑑定を依頼したが、結果は「鑑定不能」。「全てやり尽くした」。気持ちを整理し、遺骨を引き取った。

 最近、仏壇に手を合わせることを忘れる日がある。それでも許してもらえそうな気がする。

 「家族は思い出になりつつあるが、絶対に忘れることはない。残りの人生を健康で生き抜くことが新たな使命だ」

 あの日から間もなく10年。三浦さんの心が静かに時を刻み始めた。
(坂本光)

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