寒風が肌に突き刺さる。1月中旬、宮城県女川町の竹浦漁港沖でドライスーツに身を包んだ町内のバス運転手高松康雄さん(64)が海中に飛び込んだ。
東日本大震災の津波で行方が分からない妻祐子さん=不明当時(47)=を捜すため、7年前に国家資格の潜水士の免許を取った。
捜索は毎月1回。体力や集中力を高める潜水トレーニングを入れると月4回は女川湾に向かう。始めた頃は海中に体を沈めるのもやっと。「妻を連れて帰りたい」との一心でこれまで470回以上潜った。
あの日は義母の付き添いで石巻市の病院にいた。祐子さんは海から約100メートル離れた町中心部の七十七銀行女川支店で働いていた。祐子さんの携帯に何度も電話したが、通じない。
「大丈夫?帰りたい。」
午後3時21分、メールが届いた。自分の身を案じる言葉がつづられていた。
海に面した町中心部は壊滅的な被害を受け、容易に近づけなかった。翌日、知人から「支店の屋上に避難した行員が全員流された」と聞かされた。
避難所や遺体安置所に通い続けたが、行方は分からないまま。周囲に促されて2011年12月に葬式を出した。墓には眼鏡と支店周辺で見つかった携帯電話を納めた。
穏やかで優しい人だった。けんかは一度もしたことがない。休日に夫婦でドライブに出掛けるのが何よりの楽しみだった。
葬式の半年後。墓の建て替えのため携帯を取り出した。試しに電源をつなぐと、「送信済み」のメールが目に入った。
「津波凄(すご)い」
「大丈夫?」のメールから4分後だった。「慌てていたのかも…。足元まで津波が迫っていたんだろう」。届かなかった最後のメール。いつもあるはずの句点が抜け落ちていた。
海上保安庁が13年夏、女川湾で初めて行方不明者を捜索した。岸壁から潜水士の姿を見守るうちに「自分の手で捜したい」との思いが募った。
町内のダイビングショップの門をたたき、14年2月、国家試験に合格。ショップ代表の高橋正祥(まさよし)さん(41)の下で技術を磨き、仲間と活動する。
潜水による捜索は毎回1時間から1時間半。光がほぼ届かない水深約40メートルまで下りていく。方向、浮力、ボンベの残圧、ダイバー仲間との距離を確かめ、海底のがれきや土砂などの堆積物を手で探る。
7年間にわたる捜索で、アルバムや名前入りの体操着などを発見した。海岸や海底のごみを拾うボランティアにも毎月参加している。「他の行方不明者に関する物も捜し出せたら」と思う。
手掛かりは年々少なくなるが、希望は捨てない。「見つかるか、体が動かなくなるまで続ける」。再び会える日を信じ、妻を連れ去った海に向かう。
(大芳賀陽子)
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