「震災10年 あしたを語る」前南相馬市長 桜井勝延さん(65) 国や東電から連絡一切なし

桜井勝延さん
ユーチューブで世界に支援を呼び掛ける桜井さん=2011年3月24日

 前例のない大災害に見舞われた時ほど、トップの判断が組織の命運を左右する。大地震、巨大津波、原発事故…。東日本大震災から間もなく10年。住民のため、地域のため、困難に立ち向かった6人のリーダーが複雑な胸中を語る。

 <東日本大震災の発生時は南相馬市議会3月定例会の一般質問中だった>
 激しい揺れが収まると庁舎の外に飛び出し、駐車場の片隅で災害対策本部を設置した。ヘルメットと防災服姿。ハンドマイクを使っての第1回会議だ。津波の避難勧告をするよう担当者に指示した。
 間もなく津波が来るという情報が入った。急いで庁舎の屋上に上がり、海岸の方向を見た。火事のような煙が帯状に伸びていた。家々を破壊しながら押し寄せる巨大津波の土煙だった。

 <その日の夜、東京電力福島第1原発の危機を伝える情報が市民からもたらされる>
 原発作業員の男性が庁舎を訪れ「原発は避難しなければならない状況だ。自分も避難する」と慌てた様子で話した。直後、市職員からも同様の状況を伝えられた。原発で働いている父親からの携帯メールで「原発が制御できない事態に陥っている」という趣旨の文面が届いたという。
 東電からの連絡は一切なし。非公式の不確かな情報で、住民避難を判断できなかった。津波で多くの市民が亡くなり、沿岸部の対応が最優先だった。避難所の確保も急がなければならなかった。

 <翌日、午後3時36分に第1原発1号機が水素爆発する>
 対策本部の会議中、警察官が駆け込んで「原発が爆発した」と報告した。うそだろう、って驚いたよ。消防に電話しても確認は取れない。夕方、テレビで1号機の原子炉建屋が吹き飛ぶ映像を見た。原発20キロ圏内に避難指示が出たこともテレビのテロップで知った。
 20キロと言われても、すぐには分からない。地図を広げると、太田川という2級河川がほぼ20キロ圏の境だった。川の南側に暮らす主に小高区の住民に、防災無線や職員の巡回で避難を呼び掛けた。

 <14日午前11時には3号機が水素爆発する>
 前日から3号機が危ないとの情報をラジオで聞いていた。プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料が装填(そうてん)されている3号機が爆発すれば、プルトニウムがまき散らされる。被害は1号機の比ではない。
 住民は20キロ圏外に避難させたが、20キロ周辺には1500人が身を寄せる避難所が幾つかあった。実際に爆発し、がくっと力が落ちたが、すぐ住民を避難させなければならないと思った。
 対応に追われていた14日夜、迷彩服とガスマスク姿の自衛隊員が庁舎にやって来て「100キロ圏内は避難指示だ」と触れ回った。市職員は浮足立った。「確認するまで待て」と俺は言ったが、逃げ出す職員も数十人いた。県に確認して事実ではないと分かるまで1時間ほどかかった。

 <原発が立地する自治体とは異なり、南相馬市は情報の蚊帳の外。国や東電から連絡はなく、情報源はもっぱらテレビだった>
 15日の午前11時には20~30キロ圏の屋内退避指示が出されたが、国からは何の連絡もなかった。東電の執行役員が対策本部に来たのは22日。「(電話連絡の)協定を結んでいないため連絡しなかった」と言われ、ふざけんじゃねえよ、って殴り掛かりそうになった。

棄民化の街、支援を訴え

 <東京電力福島第1原発3号機の水素爆発で、南相馬市民全員の市外避難を決意する>
 14日に3号機が爆発した時点で、もう終わりだと思った。自衛隊員が避難を呼び掛けたのも危機感につながった。市民を一刻でも早く遠くに避難させたいと思った。相馬市の立谷秀清市長に電話で避難先の確保をお願いしたところ、15日に相馬女子高跡地に避難していいという話になった。実際に移動が始まった。
 16日、NHKの朝のニュース番組で電話取材を受けた。市内の状況を説明すると、放送直後に新潟県の泉田裕彦知事(当時)から電話があり「市民を受け入れる」と申し出てくれた。
 急きょ避難計画を作り、希望する市民全員を避難させることにした。避難は17日に始まり、住民は新潟のほか、県内を含め全国各地に散り散りになった。7万2000人いた住民が1万人ほどに減った。

 <街に人けがなくなっても迷いや不安はなかった>
 実は内心「これでいい街になる」という思いもあった。市民は市外で生活した経験がない人ばかり。修学旅行のような気持ちで外の世界の空気を吸って戻ってきてくれれば、人脈も広がって市はもっと良くなると期待した。俺は何事も楽観的に、前向きに考える人間なんだ。

 <避難がほぼ完了した20日夕、庁舎の一室に職員を集めて訓示する>
 二百数十人の職員に「明日から通常勤務に戻す」と話した。職員は庁舎に寝泊まりし、昼夜を問わず頑張ってくれた。「ひとまず休んでください」とお願いした。庁舎を市外に避難させないことも告げた。1万人が残っている。庁舎の移動はあり得ないと考えた。
 職員は殺気立った。「市民は避難するのになぜわれわれはできない」と訴える女性職員もいた。俺は「憲法に『公務員は全体の奉仕者』と書いてある。一人でも市民が残っていれば奉仕者のわれわれは避難する訳にいかない」と話した。針のむしろだったが、こちらも動じない姿勢で臨んだ。

 <3月末、動画投稿サイト「ユーチューブ」に市の苦境を訴える動画を投稿する>
 政府が原発から20~30キロ圏の屋内退避を指示し、南相馬には立ち入りできないとのイメージを持たれてしまった。ドライバーから危険視され、生活物資が途絶えた。メディアもボランティアもなかなか入ってこない。まさに棄民化された自治体になった。
 使えるのは電気と水道だけ。この二つが駄目になったら危ないという時に、ボランティアからユーチューブで発信してはどうかと提案された。英語の字幕も付けてくれるという。ビデオカメラの前で11分間、台本なしで一気にしゃべり立てた。「市民は兵糧攻めに遭っている」と訴え、支援を呼び掛けた。
 投稿すると南相馬の状況が国内、そして世界へ伝わった。支援物資が届き、イタリアやフランスのジャーナリストが取材に来るようにもなった。おかげで4月下旬、米誌タイムの「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。でも、当時は避難区域の設定が行われた時期。業務に忙殺されて感慨にふける余裕はなかった。

移住促進、立て直しの鍵

 <地域の再建とともに政治家として「脱原発」を訴えるようになる>
 5月、東北電力浪江・小高原発の建設計画に伴う電源3法交付金の一部申請を見送った。これが脱原発の態度表明になった。100%再生可能エネルギーの街を目指し、独自の復興モデルを構築することにした。
 2014年には、脱原発を掲げて東京都知事選に立候補した細川護熙元首相を応援した。政権は原発再稼働にひた走るが、原発事故からの避難で亡くなったり生活が一変したりした人の苦しみや叫びを代弁するのは被災首長の務め。代表者として発信しなければ住民から選ばれている意味がないと思った。

 <住民帰還と併せて新住民の移住にも力を入れる>
 2年間で人口は4万に戻ったが、頭打ちになると懸念された。特に女性や子どもの帰還が伸びない。事故による放射線の影響を不安視しているようだった。
 その時、思い浮かんだのは相馬藩の歴史。200年以上前の天明の大飢饉(ききん)で大量の餓死者が出たが、北陸地方から移民を呼び寄せて立て直した。江戸時代の経験を生かし、新しい人が集まってくる地域にすべきだと考えた。これが浜通りに新産業を集積する「福島イノベーション・コースト構想」のきっかけになった。
 「変な人たちがいっぱい集まっているよね」という環境をつくりたかった。新しい時代を先取りする実験や研究、開発ができる地域をつくろうぜ、という理念だ。地元住民はすぐに理解しなくても、研究者らの移住が進めばいずれ分かってもらえる。
 20年にはロボット開発拠点「福島ロボットテストフィールド」が南相馬市と福島県浪江町に開所した。これからは地元が積極的に構想に関わっていく姿勢も大事だ。世界史的な原発事故からの復興は、世界史上ない地域をつくることから始まる。米国のシリコンバレーだって、情報化社会の最先端を目指すという魂が地元にあったはず。残念ながらその情熱は今の南相馬には感じられない。

 <3選を目指した18年の選挙に敗れ、一市民の立場で郷土の復興を見守る>
 原発事故で多くの住民が離散したが、同時に人々を吸収できるエネルギーも増大したと俺は思う。頂いたエネルギーを増幅させる努力を怠れば復興は前に進まない。国におねだりしたり与えられたりするのを待つだけではエネルギーは減少するだけだ。
 市長になる時、ここにカオスをつくり出したいと思った。多くの人間が絡み合う人間性を創出し、街を活性化させると考えた。多様な人間が意見を交わせばポジティブな発想がどんどん生まれてくる。
 都会で埋没する若者も高齢化した地方に来れば「金の卵」と大事にされる。イノベーション・コースト構想によって若い人の受け皿は整いつつある。若者に南相馬をいい意味でかき回してもらいたい。
(聞き手は神田一道)

[さくらい・かつのぶ]1956年、南相馬市生まれ。岩手大農学部卒。稲作と酪農に従事していた2000年、産業廃棄物処分場建設の反対運動を主導したことがきっかけで政治家を志す。旧原町市議、南相馬市議を経て、10年1月に当時の民主党推薦で南相馬市長選に立候補し初当選。2期務めた。

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