「復興再考」第9部 社会の行方(3) 防災/「自分で命守る」前面に

 あの日、自然の猛威が「防潮堤神話」を打ち砕いた。
 東日本大震災の津波が高さ6・4メートルの防潮堤を越えた岩手県大槌町の安渡(あんど)地区は、人口の1割を超す217人が亡くなった。
 安渡町内会長の佐々木慶一さん(59)は「防潮堤があるから大丈夫と考え、避難が遅れた人が多かった」と悔やむ。
 造り直された防潮堤は高さ14・5メートル。数十年から百数十年に1度の津波を防ぐとされる。高台移転した団地の標高は18メートル以上ある。
 安全度は格段に増したが、震災級の津波は防潮堤を越える。「住民に震災前と同じ安心感が広がっていないか」。佐々木さんは、新たな「神話」への不安を口にする。
 震災の津波はハザードマップの浸水想定域を超え、被害を拡大させた。国の中央防災会議専門調査会は2011年9月、防災対策を検討する地震・津波について「あらゆる可能性を考慮した最大クラス」とするよう提言。「想定外」をなくすことが目標となった。
 その象徴が、国が12年3月に公表した南海トラフ巨大地震の「最大想定」だ。津波の高さは高知県黒潮町で最大34・4メートルに達する。震源が陸に近く、津波が短時間で到達する。避難を諦める高齢者らが続出するとして問題となった。
 20年4月には、日本海溝・千島海溝沿いを震源とする巨大地震による津波の最大想定が示された。震災後に完成した防潮堤が壊れる前提で推計し、高さの最大は宮古市で29・7メートル。一部被災地では復興した街も浸水するとの内容に衝撃が広がった。
 宮古市は2月、暫定版の津波ハザードマップを全戸に配布した。背景にあったのは数字の独り歩きだ。危機管理課の担当者は「29・7メートルの津波が到達する場所に人は住んでいない。浸水想定域を正しく知り、津波の時は高台に避難する基本は変わらない」と強調する。
 震災後、激甚化した気象災害が全国各地で頻発している。関連死を含め296人が亡くなった18年7月の西日本豪雨を受け、水害や土砂災害での避難の在り方を検討した中央防災会議の作業部会は「住民主体の防災」を打ち出した。
 震災で浮き彫りになった公助の限界、住民の過度な行政依存の現状を踏まえた防災の大転換だ。
 報告書は「住民は『自らの命は自らが守る』意識を持って自らの判断で避難行動を取り、行政はそれを全力で支援する」と「自助」を求めた。国民には「皆さんの命を行政に委ねないでください」と異例のメッセージも発した。
 「想定にとらわれるな」「最善を尽くせ」「率先避難者たれ」。作業部会委員の片田敏孝東大大学院特任教授(災害社会工学)は震災前、「避難3原則」を掲げて釜石市の防災教育に携わった。教えを守った小中学生約2900人のほぼ全員が無事だった。
 片田特任教授は「『想定にとらわれるな』は、荒ぶる自然に対する本質的な理解だ。行政も被害を抑えるために努力を重ねてきたが、住民一人一人が主体的に行動し、命を守るために共に災害に立ち向かう社会を構築する必要がある」と訴える。
 

リスク不可避 共存探る

 2月13日深夜のマグニチュード(M)7・3の地震は、東日本大震災の津波の記憶を呼び覚ました。
 「とうとう来たか」。震度6弱を記録した宮城県山元町の花釜地区。無職菊地慎一郎さん(73)は揺れの中で着替え始めた。自宅は震災で約2メートル浸水し、一帯は災害危険区域となった。
 費用面から内陸移転せず、自宅を修繕した。枕元に衣服を置いて寝るのが習慣で「住み続ける以上、津波に備えなければ」と言う。
 岩手県大槌町安渡地区で3月7日にあった津波避難訓練。約100人が参加し、リヤカーで高齢者を高台に運ぶ練習にも取り組んだ。
 地区は津波時の避難支援を巡り、地震後15分で切り上げていいと定めた。震災で民生委員や消防団員が「共倒れ」になった苦い経験からだ。助けられる側にも15分で玄関先に出る努力を求め、自助と共助のぎりぎりの両立を目指す。
 
 安渡町内会長の佐々木慶一さん(59)は、津波の際にばらばらに逃げる三陸地方の教訓「津波てんでんこ」の意味を改めて考える。
 事前に家族で避難について話し合い、お互いが逃げると信頼しなければ実行できない。「自助だけでなく共助の意味もある。助ける側の人の命も守るため、安渡なりに津波てんでんこを肉付けしたのが15分ルールだ」。津波常襲地帯に住む覚悟を示す。
 巨大地震と大津波、東京電力福島第1原発事故。震災は社会に潜むリスクをあらわにした。同時にリスクを評価し、時に制御する科学の限界も浮き彫りになった。
 M9の地震規模を想定できず、原発はメルトダウンした。2012年版の科学技術白書によると、科学者の話を「信頼できる」と肯定的に捉える人は約65%。震災前より約10ポイント低下した。
 一方、被ばくリスクにさらされた原発事故の被災地で、日常を取り戻す手段となったのも科学だった。
 いわき市久之浜町末続(すえつぎ)地区は、福島第1原発から30キロ圏内にある。一時、全員が自主避難した。元行政区長の高木宏さん(78)は「畑の野菜は食べていいのか、そもそも住めるのか。放射能の知識がなく、住民は心配だった」と振り返る。
 住民有志が空間放射線量などの測定を始め、市民グループ「福島のエートス」が協力。15年2月には地区集会所に食品を持ち寄り、放射性物質の量を測る活動がスタートした。
 タケノコは他の食品より数値が若干高めだが、ゆでると下がる。分量とリスクを勘案し、好物だから食べる-。専門家の支援も受けながら、住民たちは具体例からデータの意味と生活への影響を理解していった。
 科学を「道具」に、愛着のある末続で暮らす不安を減らす一連の取り組みは昨年3月に終わった。高木さんは「東京の孫が遊びに来ても大丈夫と喜ぶ人もいた」と意義を語る。
 
  津波と原発事故の被災地がそれぞれ直面したリスクとの対話。問われたのは、人々が学びを深めながら、その地で生きていくという選択だった。
 社会からリスクが消え去ることはない。福島県立医大の村上道夫准教授(リスク学)は「リスクは、何を大事にするかという価値観と密接に結び付く。幸せや豊かさとのバランスの中で対処することが大切だ」と説明する。

津波で被災したエリア(中央)に現地再建した住宅が並ぶ山元町=2020年11月
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