復興庁(2)復興交付金/使途の自由度 どこまで

全面開園した南三陸町震災復興祈念公園。規模は当初の計画より大幅に縮小された=2020年10月12日、宮城県南三陸町志津川

 「交付が認められた事業と省かれた事業の差は、いったい何だったのか」

 国の復興交付金の申請業務を担当した宮城県市町村課の川越開(ひらく)さん(52)=現総合政策課長=は頭を悩ませていた。

 2012年3月、国から待望の第1回の交付可能額が通知された。県と22市町の要求額計2032億円のうち、認められたのは1162億円。率にして57・2%にとどまった。

 復興交付金は11年7月策定の復興基本方針で初めて示された。文面に「自由度の向上や執行の弾力化、手続きの簡素化を可能な限り進める」とあり、「使い勝手のいい交付金」と前評判が高かった。

 国と被災自治体の思惑は擦れ違う。昨年10月に宮城県南三陸町が開所した震災復興祈念公園は当初、24ヘクタールに津波学習記念館などを備えた公園を整備する構想だった。交付金の配分が始まった12年から復興庁と折衝を重ねたが「面積が広すぎる」と折り合わず、4分の1の6・3ヘクタールに縮小した。

 国の制度設計と被災地の望みや実情との不一致が度々露呈し、被災自治体は「結局はひも付き補助金だ」と不満を募らせた。

 司令塔は「被災地の利益」と「国民の目線」の両立に苦悩していた。

 交付率の低さを「査定庁」と村井嘉浩知事(60)が批判した数週間後、復興庁参事官だった寺岡光博さん(54)=現首相秘書官=が県市町村課を訪ねた。

 第2回申請を前に、国側の意図を伝えるのが目的だった。「復興には優先順位がある。まずは被災者の住まいと生活だ。リソース(資源)は限られており、なぜいま道路や観光施設なのか」

 その言葉通り、申請には1950年代から事業化されていない「悲願」の路線もあった。対照的に、災害公営住宅に絞り込んだ岩手県の交付率は98・1%と、ほぼ「満額回答」だった。

 復興財源は所得税や住民税の上乗せが原資となった。「復興増税で国民に広く負担を求める以上、理解を得られる執行に努めなければならない」。財務省から出向し、交付金の制度設計から担当した寺岡さんは振り返る。

 国難とさえ言われた震災で、復興交付金の「自由度」をどこまで担保するか。制度設計を巡り、霞が関内部でも意見が割れていた。

 各省庁が補助金を出す従来型の「ひも付き」か、それとも被災者数などの基準に応じて自治体に交付金を渡し、使途も委ねる「一括方式」にするか-。行方次第で国から地方への分権に一石を投じる議論だった。

 「交付金を丸ごと渡すのは駄目だ」。当時、復興対策担当相を務めた岩手県選出の平野達男元復興相(66)は自治体裁量を嫌った。中央官庁のチェック機能が働かなくなることを懸念したからだ。

 結果として5省40の基幹事業を設け、各省庁に権限を残すことで執行に責任を持たせた。事実上の「ひも付き」だが、付随する道路や広場などの効果促進事業は、自治体の要望をある程度すくい上げる幅のある制度に落とし込んだ。

 「いわば、迷った上の『折衷案』だった」。国の権限移譲や被災地と同じ目線に立つ難しさを、寺岡さんはかみしめる。

[復興交付金]復興特区法に基づく特例措置として、自治体は高台移転やかさ上げなど5省にまたがる40の基幹事業を復興庁に一括申請し、交付を受ける。付随する道路や広場などの「効果促進事業」は基幹事業費の35%が上限。2020年度末まで計29回配分され、累計額は計3兆3284億円に上った。

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