「復興再考」第9部 社会の行方(5完) 絆/巨大な一体感に光も影も

ボランティアと交流を重ねてきた小野寺さん。届いた手紙や記念写真を見てほほ笑んだ=2月28日、釜石市

 写真、はがき、文字でびっしりの便箋…。2月、釜石市鵜住居地区の災害公営住宅。民生委員の小野寺喜代子さん(74)が、箱から宝物を取り出した。

 避難所や仮設住宅で多くのボランティアと出会い、交流を続けてきた。「被災後の苦しさの中で、人とつながっていることに励まされた」と感謝する。

 仮設暮らしでは、周囲の高齢者が落ち込んでいる様子に心を痛めた。支援団体が集会所で開く「お茶っこ会」で笑顔になり、料理やクリスマスリース作りを楽しむ様子に安心できた。

 2019年9月、地区の祭りでボランティアの神戸大生と再会した。卒業後、東京で働いているという。小野寺さんは「今も気持ちを寄せてくれていた。一生、感謝し続けたい」と話す。

 岩手、宮城、福島3県で活動したボランティアは、社会福祉協議会のボランティアセンター経由だけで延べ150万人を超える。今年1月末現在、日本赤十字社を通じて配分された義援金は約3425億円。他にも多額の善意が県や市町村に届けられた。

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が起きた11年、日本中にその言葉があふれた。

 絆。

 瞬く間に被災地支援のスローガンとなり、世相を1字で表す「今年の漢字」に選ばれた。

 自発的に、時には人為的につくり出された巨大な一体感。光があれば影もある。

 「賠償金をもらっているからと嫌がらせを受けている」「放射能が不安で母子で避難しているが、夫や義父母に戻るよう迫られる」

 2月、郡山市のNPO法人「ウィメンズスペースふくしま」の事務所。スタッフが福島県の女性の電話相談に耳を傾ける。心身や家族関係、ドメスティックバイオレンス(DV)の悩みに原発事故後の長期化した避難生活が影を落とす。

 避難者の歩みは苦難の連続だった。「放射能がうつる」。県外の転校先で深刻ないじめがあった。福島ナンバーの車が傷つけられたこともあった。

 県内でも東電の賠償金を巡り、あつれきが生まれた。同じ県民でも避難区域の被災者以外は受け取れない。法人代表理事の後藤美津子さん(60)は「避難者であることを周囲に隠している相談者が多く、人間関係の苦しみから引っ越しを繰り返す人もいる」と話す。

 「絆」について若島孔文東北大教授(臨床心理学)は、結束力を意味する「凝集性」を鍵に説明する。

 「日本全体の結び付きを強め、被災地支援に方向付ける効果があった。ただ凝集性の高い集団は差異に弱い。個人の被災状況の違いや被災地との距離が、次第に言葉の力を失わせていった」

 震災から10年。爆発的に普及した会員制交流サイト(SNS)では、誰もが他人と簡単につながれるようになった。同時に可視化されたのが「分断」だ。意見の異なる相手への攻撃が横行し、新型コロナウイルス禍でもデマと差別が繰り返されている。

 あの日。わざわざ「絆」を口に出さずとも日本中が被災地を思い、力になりたいと考えた。見知らぬ誰かの無事を願った。

 その経験は忘れ去られたのか-。

広がる新たな支援の形

 東日本大震災後、インターネットを通じて出資を募るクラウドファンディング(CF)の存在感が増した。寄付文化が弱かった日本で、震災を契機に新たな支援の輪が広がっている。

 須賀川市でモモなどを栽培し、農家民宿も手掛ける「阿部農縁」。CFを活用し、来訪者と地域の高齢者らの交流施設「SHINSEKI(シンセキ)ハウス」を敷地内に整備した。

 昨年1~2月に初めてCFに挑戦し、全国の292人から目標額を上回る計479万円を集めた。代表の寺山佐智子さん(53)は「自然あふれる環境での農作業や郷土食作りを通じ、みんなが笑顔になれる場所にする」と構想を語る。

 実家の農業を継ごうと2007年、看護師として約20年働いてきた病院を辞めた。設備を導入し、加工品の製造販売を始めようとした矢先、東京電力福島第1原発事故が起きた。原発からは約60キロ離れているが、出荷停止になったホウレンソウは廃棄を迫られた。

 葛藤の中で放射能に関する勉強を重ね、農業の継続を決断した。法人化して従業員を雇い、加工品の通販に力を入れた。水を一滴も使わないモモのコンポートは看板商品となった。

 ハウスは今年5月にオープンする。「出資者の2割は知らない人。新しい縁を力にし、新商品の開発を軸に収益を強化したい」と誓う。

 日本でのCFは11年3月以降、本格化した。日本クラウドファンディング協会によると、返礼がある「購入型」CFの市場規模は、17年の77億円から19年の169億円に拡大した。

 震災などの自然災害、新型コロナウイルス禍での支援プロジェクトが多数展開され、「共助」の新しい形として定着してきた。

 復興庁も被災地の企業や団体の資金調達手段として着目。CFを利用する際に専門家の派遣を受けられる制度を18年度に創設した。19年度は60件のプロジェクトが採択され、計1億円を獲得した。

 被災地への広く、緩やかな支援。政府の復興構想会議が掲げた復興構想7原則の一つ「国民全体の連帯と分かち合いによって復興を推進する」が重なる。臨時増税を実現させ、5年で19兆円の復興財源を補った。

 被災地では次の被災地への「恩送り」も新たな文化として育ちつつある。

 16年4月の熊本地震後、釜石市の釜石東中生徒会は募金活動に取り組んだ。校門前で呼び掛けるなどして約12万7000円を熊本県に送った。

 生徒会長だった宮城大1年佐々木千芽(ゆきめ)さん(18)は津波で自宅が全壊した。「被災の大変さ、支援のありがたみを両方を知っている。先生は何も言わなかったが、誰ともなく『何かしなければ』と動いた」

 震災では、阪神大震災(1995年)や新潟県中越地震(2004年)を経験したボランティアや行政職員が、各地で強力な助っ人になった。

 復興構想会議の議長代理を務めた御厨貴東大名誉教授は「熊本地震の被災地でも『復興経験者』が有力な人材として活動している。この10年、被災を共通の体験としてつないでいく連鎖構造が強まった」と指摘する。

 支え合い。時代とともに姿を変えながら、人を思いやる気持ちは確実に未来へと受け継がれていく。
◇     
 第9部は坂井直人、高橋鉄男、小沢邦嘉、宮崎伸一、鈴木拓也、東野滋が担当しました。

ナシ畑で作業する寺山さん(左)。奥はクラウドファンディングを活用して整備した交流施設=2月22日、須賀川市
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