「高田の医療を崩壊させない」 壊滅した街で鬼となった院長

高齢者向けサロンで、介護予防の対策を呼び掛ける石木さん=4日、陸前高田市の旧矢作中校舎

 毎朝のジョギングは、高台の新市街地からスタートする。次第に海原が目の前に広がる。

 「時々、ふと嫌な気分に襲われる」

 陸前高田市の医師石木幹人さん(73)は、東日本大震災の津波で妻たつ子さん=当時(57)=を失った。青森市の浅虫温泉で生まれ、慣れ親しんできた海。突如牙をむき最愛の人を奪った海。心は揺れ動く。

 当時、岩手県立高田病院の院長だった。鉄筋4階の病院は最上階まで浸水。石木さんら病院職員と患者、住民合わせ164人は屋上に取り残された。在宅だった人を含む職員12人、入院患者16人が犠牲となった。

 「高田の医療は全滅だ。病院を早く立ち上げないと駄目だ。俺らが頑張らないと」。壊滅した街並みは、悲嘆に暮れるいとまを一切与えてくれなかった。

 翌日午後にヘリコプターで救助され、翌々日には米崎コミュニティーセンターに臨時の診療所を開設。市内6カ所に救護所を設置し、避難所回りにも奔走した。7月にはプレハブ平屋の仮設診療所を開いた。

 「俺は鬼だった。市役所職員を怒鳴りつけもした。本当に短期間で皆よく頑張った。なんぼおっかねかったべな、とも思うよ」

 震災前から取り組んできた「日本一高齢者に優しい医療」の立て直しも同時進行で進めた。2013年2月に高齢者の在宅療養連携組織をつくり、病院長を退いた後も認知症外来の診療や回診を続けた。

 走り続けた10年。一人になると、たつ子さんを思い出す。「現実は分かっていた。でも認めたくない。考えないようにしていた時が大半だった気がする」。悲しみが消えることはない。

 昨年4月から市保健福祉総合センターの所長を務める。「そろそろ陸前高田の介護は破綻しそうな状態」。危機感は募るばかりだ。

 65歳以上の人口は震災前の34・9%(10年10月)が、今年2月末には39・6%に上がり、4割を突破する日が近づく。

 震災で就職先が減り、若者たちの流出が加速した。コミュニティーは再生されず、隣近所の付き合いも減った。高齢者は孤立し、老老介護が当たり前の超高齢化社会に直面している。

 「介護予防に本気で力を入れないと。住民の意識変革も必要」と、住民が主体となった小規模サロンの育成に力を入れる。

 今月4日、山あいの旧矢作中校舎に住民20人が集まり、筋力の低下を防ぐ体操やおしゃべりを楽しんだ。「運動と呼吸は大事。頑張って生きようね」。こう呼び掛けた参加者は、みんな顔見知りだ。

 4月から市内の国保広田診療所の院長に就く。「何でも相談して。父ちゃんとうまくいかない、でもいいから」。「そんなんでもいいの」と笑い声が響き渡った。

 きょうは通過点。高齢者が元気な地域づくりにゴールはない。
(片桐大介)

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