午後2時46分 あの人を思う それぞれの震災10年

震災時刻の午後2時46分、仙台市中心部のアーケードでは道行く人が鐘の音を合図に黙とうを捧げた
震災10年を迎えた朝、日の出とともに慰霊碑に花を手向ける人たち=2021年3月11日午前6時ごろ、仙台市若林区荒浜

 東日本大震災は11日、発生から10年を迎えた。巨大地震と大津波、東京電力福島第1原発事故の複合災害によって全国で関連死を含め2万2198人が犠牲となった。宮城県内の死者は9544人、行方不明者は1214人、関連死は929人で、1万1687人の命が失われた。

 新型コロナウイルスの影響で追悼行事の規模縮小が相次ぐ中、宮城県内では遺族らが海辺や慰霊碑を訪れ、地震が発生した午後2時46分には鎮魂の祈りをささげた。

残された家族 それぞれの歳月

 祖母みちさん=当時(69)=を亡くした仙台市若林区の会社員中島芳彦さん(37)

 荒浜の祖母宅で小学4年まで暮らした。母が働いていたので、祖母は2人目の母のような存在だった。明るくて、煮物など手作りの料理は何でもおいしかった。

 震災で祖母の家は流され、荒浜の景色も変わりすぎてしまった。毎月、墓参し、家族の様子を伝えている。当時8カ月だった長女は今小学4年になり、元気に通学している。生きている自分たちが頑張らないといけないと思っている。(若林区荒浜の墓地で)

 夫の勝さん=当時(65)=を亡くした仙台市宮城野区の鈴木きよさん(71)

 毎年この日は雪や雨交じりの天気なので、晴れてよかった。町内会の役員だった夫は、避難を呼び掛け、津波にのまれた。蒲生が地元で友人も多く、亡くなった後もあれこれ気に掛けてくれるので、ありがたい。

 同居する小学5年の男孫(11)は、夫が亡くなる少し前に1歳になったばかりだった。成長を頼もしく思う半面、それだけ夫が亡くなった月日の長さが感じられ、切ない気持ちになる。(宮城野区のなかの伝承の丘で)

 
 夫の安勝さん=当時(67)=を亡くした仙台市若林区の主婦佐竹かほるさん(77)

 荒浜の漁師だった夫は近所の人たちを車で荒浜小に避難させた後、「母ちゃんが心配だから」と私を捜しに自宅に戻ったそうだ。5日後に遺体で見つかった。

 明るく優しい仏様のような人。震災当日は午前2時半に漁に出たので、前の晩の「2人で旅行に行くか」が最期の言葉になった。

 気が遠くなりそうな日々だったが、夫が守ってくれたのか、震災2カ月後には新しい家に移れた。あっという間の10年だった。(若林区荒浜の慰霊碑前で)

 
 長男の豊さん=当時(40)=を亡くした岩沼市玉浦西の無職菅井公男さん(81)

 10年は長いようだけど、まだ昨日やおとといのように感じる。今でも息子が帰ってくるような気がしている。

 親孝行でいい息子だった。普段はあまりしゃべらないが、酒を飲むと「長生きしろよ」と言ってくれた。何でも一生懸命な子だった。息子が残した孫娘が今年、成人式を迎えた。震災当時は小学4年生だったのに、早いもんだ。息子にも見せたかった。(岩沼市下野郷の墓地で)

 
 父の千佐男さん=当時(71)=を亡くした仙台市若林区の会社社長大内和比佐さん(52)

 遺族にとって3月11日がこれからも特別な日であることは変わらない。父は近所に避難を呼び掛けた後、津波に巻き込まれた。子ども思いで頑固。魚釣りやキノコ採りを教えてくれた。

 息子2人の面倒もよく見てくれた。長男(20)は昨年9月に閖上で再建した私の部品修理製造会社で働く。次男(17)は工業系の高校に通う。父は「無理に継がせるな」と言っていたが、内心はうれしいだろう。(名取市閖上の墓地で)

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