「あの日から」第10部 軌跡(13完) 南三陸・高光商店 4人で接客これからも

店を守ってきた高橋さん夫妻と(後列左から)泰子さん、秀子さん=11日、南三陸町の高光商店

 食料品や雑貨が所狭しと並ぶ。缶コーヒーは、石油ストーブの上でお湯を沸かした鍋に入れて温める。店内にはどこか懐かしい雰囲気が漂う。

 「今年が最後。その積み重ねで10年が過ぎた」。宮城県南三陸町志津川で高光(たかみつ)商店を営む高橋光男さん(84)は、東日本大震災からの歳月に思いをはせる。

 大津波が志津川漁港の近くにあった店舗をのみ込んだ。隣接する自宅1階の鉄骨しか残らなかった。

 5人きょうだいの長男。町を襲った1960年のチリ地震津波から数年後、一念発起して始めた店だった。妻祐子さん(79)、光男さんの妹の西條泰子さん(79)、小野寺秀子さん(73)の力を借りて切り盛りしてきた。

 激しい揺れの後、店にいた4人は高台の商工団地にある木造倉庫に車で避難した。最後に店を出た光男さんと祐子さんが着いた時、津波のごう音が聞こえた。「道路が渋滞していたら濁流にのまれていた」と光男さん。町内に住む姉夫婦は津波の犠牲になった。

 倉庫で避難生活を送っている時、店を畳むことを考えた。問屋から「続けてほしい」と言われ、心が揺れた。半世紀近く通ってくれた常連客の顔も浮かんだ。

 「自分がゼロから始めた店が震災でゼロに戻っただけ。やれるうちはやろう」。震災から4カ月後、倉庫を店舗に改装した。74歳の再出発だった。

 妹2人も決断を受け入れてくれた。町では多くの商店が被災しており、早い時期に再開した数少ない店となった。泰子さんは「お客さんが欲しがる商品をそろえることを心掛けた」と語る。

 被災した住民の多くが散り散りになった。誰がどこで暮らしているのか分からない。震災から3年後、「やっと高光に足を運べた」と顔を出してくれた客もいた。

 店の目印は「高光」と記された小さな看板。光男さんが赤いスプレーで書いた。「4人のうち誰かが倒れたら、やめようと思っていた」。立派な看板も、宣伝も必要ないと考えた。

 店の広さは震災前の3分の1になった。品数もだいぶ減った。毎週日曜は休み。もうけより、自分たちのペースで商売を続けることを大切にしている。

 同県気仙沼市から通う秀子さんは「今は朝にテレビの連続ドラマを見る時間がある。のんびり仕事ができる」とほほ笑む。

 店は誰もが一息つける憩いの場でもある。客が丸いすに腰掛け、世間話に花を咲かせる。祐子さんは「言いたい事を言い合って楽しんでいる。お客さんにも恵まれた」と感謝する。

 震災から10年。それぞれ年を重ねた。「お客さんと日々接しているから、みんな元気でいられるのかもしれない」。4人が口をそろえる。

 「この先も今年が最後という気持ちは変わらない。始めるのは簡単。でもやめ時が難しいね」。光男さんが柔和な表情を浮かべた。

 定休日の3月7日の日曜日に姉夫婦の墓参を済ませ、11日を迎えた。光男さんは午前中、祐子さんの病院の付き添いで登米市へ。昼ごろ、近くの工場で働く人がカップラーメンを買いに来た。「いつも、ありがとうね」。泰子さんがポットのお湯を注いで渡した。
(佐々木智也)

河北新報のメルマガ登録はこちら
震災10年 あの日から

 東日本大震災を経験した一人一人に、それぞれの震災があり、災後の歩みがある。あの日からの軌跡をたどる。

震災10年 復興再考

震災10年 あの日から

復興の歩み


企画特集

先頭に戻る