「震災10年 あしたを語る」アイリスオーヤマ会長 大山健太郎さん 今こそ物資を 工場復旧即決

大山健太郎さん
東日本大震災直後、集まった社員に向けて訓示する大山さん(左)=2011年3月、角田市

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から10年がたった。あの時は国の中枢で何が起き、復興は官民でどのように進められてきたのか。当時と10年間を知る政治、行政、経済のキーマン4人が語る。

 <東日本大震災発生時は千葉市での大規模展示会に出席していた>
 ものすごい横揺れだった。2日前にも大きな地震があり「震源は宮城県沖だ」と直感した。社長としてすぐ宮城に戻らなければいけない。仙台空港行きの飛行機をすぐに手配し、一緒にいた社員3人と社有車で成田空港に向かった。
 途中ワンセグのテレビを見ていたら、仙台空港が津波にのまれていく。これは駄目だと引き返した。国道4号を北上したが全然動かない。その日はJR新白河駅前のホテルで仮眠した。翌日も一向に進めず、宮城県大河原町や角田市の工場を確認できたのは13日の日曜日。建屋の被害はそれほどでもなかったが、高さ30メートルの自動倉庫の荷物がほとんど落ち、中はぐしゃぐしゃだった。
 <14日の月曜日を迎え、角田市の拠点施設で毎週行う朝礼に臨んだ>
 会社に着くまでの30分は悩んだ。従業員には家族や友達の安否が心配な人、ボランティアに駆け付けたい人も多かっただろう。だがアイリスオーヤマはカイロにマスク、水、ガスボンベなど今こそ必要とされる生活用品を扱っている。早く工場を復旧させ、避難所に物資を届けることが社会的使命だった。
 相談する暇などなく、即断即決だ。400人ほど集まった社員にこう伝えた。「企業には企業にしかできないことがある。宮城県と仙台市に計3億円を寄付する。皆さんは被災者のためにここにとどまってほしい。胸を張って工場に来てほしい」。みんな一斉に上を向き、決意に満ちた目をしていたのを覚えている。
 <節電需要の拡大を見越し、アイリスは発光ダイオード(LED)照明の増産に動く>
 東京電力福島第1原発事故で全国の原発が止まり、計画停電が始まって、これは大変だと。2年ほど前からLED照明を作っていたが、3月下旬に中国・大連の工場に飛び、3倍の大増産を指示した。アイリスの工場はニーズの変化に対応するため、常に7割稼働で余力を持たせてある。設備を入れて3カ月ほどでフル生産できた。
 <新年度を前に被災地の高校生の採用にも動いた>
 若者の雇用が心配だった。知り合いの社長や支店長に、1人でも2人でも被災地の高校生を採用してほしいと頼んで回った。アイリスも高卒採用は宮城が中心だったが、被災地枠を設けて青森、岩手、宮城、福島の沿岸部の高校生30人を採用した。
 東北6県での高卒採用は毎年続けている。採用の半分が高卒になり、平均年齢が下がって若々しい会社になった。震災をきっかけに変わったことの一つだ。各校のトップ層は大学で遊んでいた子よりよっぽど優秀だ。どんな仕事も一皮むけば人と人で、要は教育次第。東北の子は真面目で粘り強い。人材はアイリスの強みになった。
 <2013年に復興庁が設置した復興推進委員会のメンバーとなった>
 被災自治体の長やシンクタンクが集まったが、何も前に進まなかった。国は「元には戻すけれど、国の金を入れて新しいことはできない」という発想。地元が考える復興との間にはかなりずれがあった。
 復興庁は仙台に置くべきだと陳情したが聞いてもらえなかった。現場の声を政策に反映させることが復興庁の役割のはずが、寄せ集めた役人が霞が関で予算を差配した。金を取っても使い方のアイデアがない。結局、被災地の外へ多くの金が流れた。どう使うか決めてから予算を取るわれわれの感覚とは違った。
 <アイリスオーヤマは13年、津波被災地の宮城県亘理町に工場を建て、精米事業に参入した>
 復興に一番大事なことは、東北の元々持つ強みを生かすことだ。その一つがコメ。東北のコメは豊富な雪解け水と寒暖の差でとてもおいしい。私は関西人だから違いがよく分かる。もっとおいしくなる精米をして全国で販売すれば必ず復興の礎になると思った。
 <12年度から各地で人材育成塾を開き、200人近くを送り出した>
 アイリスも石油危機で倒産寸前になり、大阪から宮城に移った。大変な状況に置かれたからこそ、過去の延長ではないビジネスができた。「ピンチの今こそチャンス」と伝えたら、皆さん、らんらんとした目で聞いてくれた。
 <父の死を機に19歳で社長となり、長男晃弘氏に18年に引き継ぐまで50年以上、最前線に立った>
 生活者の課題にいち早く対応してビジネスにしてきたが、宮城を拠点とする企業として大災害を経験し、日本が抱える課題に立ち向かおうという姿勢がさらに生まれた。精米やLED、そして大手がリストラした人材を再雇用した家電事業にもつながった。
 <代表幹事を務める仙台経済同友会は、仙台が東京の一極集中是正の受け皿になるべきだと訴える>
 支店ではなく本店のバックオフィス(事務・管理部門)が入るようなビルがもっと必要。もう一つは若者が東京に出ていかないよう、QOL(生活の質)を上げること。国分町通の1ブロックでも家族に優しい空間に造り替えれば、定禅寺通は素晴らしい街になる。国分町通は新型コロナウイルス禍で閉店が相次ぐ危機的状況。まさにピンチはチャンスだ。
 <震災10年の節目はコロナ禍と重なった>
 復興特需が終わり、関連企業が減る代わりに東京から分散してくる企業が来る。主役交代だ。東北に呼び込むには行政の力が大事。仙台はもっと役割を果たさないといけない。
 震災があって、はかない命だと思い知った。昨日と今日はつながらない。起こったことを悔やんでも何にもならない。生き残った限り、明日を信じて生きていきたい。まだまだ東北に可能性はたくさんある。(聞き手は高橋一樹)

[おおやま・けんたろう]大阪府立布施高卒。1964年大山ブロー工業所代表者。91年の社名変更でアイリスオーヤマ社長、2018年7月会長。仙台経済同友会代表幹事、東北経済連合会副会長も務める。大阪府出身。

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