震災詩歌 詠み人たちの10年(下) 帰郷 こだわらなくとも

 3月中旬。あるじをなくしたまま春を迎えた梅の花が、福島県富岡町の山田純華(あやか)=本名・山田叶子(ともこ)=さん(76)の自宅跡地で咲き誇っていた。

もどらざる      
平穏なりし      
日々いとし      
雪ふれば雪      
花咲けば花

 東京電力福島第1原発事故で避難生活を余儀なくされ、数年後にこう詠んだ。

 かつて自宅の庭では梅や桜、レンギョウが季節ごとに咲き乱れた。春はガラス戸を開け放し、舞い落ちる花びらを家の中に迎え入れるのがお決まりだった。

 「つましいけれど、とても豊かな生活」。その日々は2011年3月11日を境に一変した。

 半世紀前に富岡の夫の実家に移住し、4ヘクタールの田んぼで稲作をしながら3人の子を育てた。65歳で短歌を始め、間もなく原発事故が起きた。

大地震(なゐ)のあと     
わが耳に入りたる   
鴉(からす)の声は十日ぶりなり

 東日本大震災の地震発生時は通院で神奈川県にいた。田村市にいた夫の元に向かい、その後避難のため東京へ。長く続く流浪生活の始まりだった。

唐突に        
避難区域と決められて 
吾(われ)らは突然      
「難民」となる

自宅跡地の庭に咲く梅の花を見つめる山田さん=3月16日、富岡町

わが町の       
第2原発(ニイエフ)作りし電力も 
かつてはここに    
灯(とも)りゐたらむ

 第1、第2原発が立地する双葉郡民の深刻な状況と異なり、電力消費地の東京は平穏そのものに感じた。

渡されし       
黒き袋の一枚に    
家ごと入れたし    
一時帰宅に

 11年7月、初めて一時帰宅を許された。防護服を着て2時間。持ち出せるのは袋1枚分だけ。77センチ四方のナイロン袋に、木造平屋80坪の自宅は入らなかった。

わが土地に      
結界をなす柵ありて  
風はしづかに     
往(い)き来してをり

 家は傷みが激しくなり、解体した。先祖代々の本も絵画も、嫁入り道具のたんすも処分。ほぼ全ての家財を一から買いそろえ、今はいわき市のマンションで夫と暮らす。

 「こんな思いはもう、日本中誰にもさせたくない」。時々の状況と思いを詠んだ歌は1600首を超える。400首を選び、19年6月に歌集「雪ふれば雪 花咲けば花」を発行した。

 「福島の現実が初めて分かった」「言葉を失った」。反響は100通を超えた。「言葉ではそのまま通過してしまうことでも、短歌は31文字で情景が全部見える」。歌を通した共感の広がりに感謝している。

 今年3月上旬。自宅でテレビから聞こえて来た「ええじゃないか」という言葉に1首ひらめいた。

哀感に滲(にじ)みたれども  
もうえゝぢやないかと 
ふるさと解き放ちたり

 「故郷への思いは変わらないけれど、ここにはここの生活がある。今までのこだわりから離れても、もういいんじゃないか」

 繰り返し口ずさみ、10年の日々をかみしめた。

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