<あなたに伝えたい>最後の願い ちゃんと聞いてるから

弘之介君(中央)に弘太郎さんの思い出を語る伸一朗さん(右)と妻の麻衣子さん=仙台市宮城野区

 仙台市宮城野区鶴ケ谷東2丁目の会社員三浦伸一朗さん(49)は、東日本大震災で父の弘太郎さん=当時(72)=を亡くした。石巻市の海鮮問屋「三政商店」の会長だった弘太郎さん。石巻の沿岸部にあった自宅脇の事務所で地震に遭い、車で高台へ避難する途中で津波にのまれたとみられる。
 ねじり鉢巻きを締め、従業員20人を力強く統率していた弘太郎さん。3代目社長、会長として104年続く家業を守り続けた。
 家事は一切しない「典型的な仕事人間」(伸一朗さん)だった。3人の息子には厳しく接し、末っ子の伸一朗さんは2人の兄がけんかするたび「お前も連帯責任だ」と一緒に怒られた。
 ただ、仕事に真正面から向き合う姿は家族から尊敬されていた。「魚一匹も粗末にするな」が弘太郎さんの口癖。2人の兄は父の背中を追って家業を継ぎ、伸一朗さんも仙台市の水産卸会社に就職した。
 あの日、伸一朗さんは若林区の市中央卸売市場で地震に見舞われた。兄から弘太郎さんが行方不明とメールが届き、すぐに石巻へ向かおうとしたが、状況が許さなかった。道路網の寸断で行き場を失った大量の鮮魚が市場に集まり、総出で売りさばく必要があった。
 不安を隠して作業していると、偶然にも11日午前に出荷された三政商店の鮮魚が目に飛び込んだ。「粗末にするな」。弘太郎さんの声が聞こえた気がした。伸一朗さんは競りに立ち続けると決め、兄の知らせを辛抱強く待った。
 10日ほど後、捜索を続けていた兄が弘太郎さんの遺体を見つけた。別れを告げるため戻った石巻は何もかもが変わり果てていた。実家も工場も被災していたが、弘太郎さん以外の家族は全員無事だった。「おやじは家族を守るために犠牲になったのかと思うことがある」
 弘太郎さんは9人の孫に恵まれた。威厳のある顔も孫の前では緩みっ放しだった。2011年の正月、実家に3兄弟の家族が集まった。酔った弘太郎さんは「後は頼むなあ。お願いだから、みんな仲良くなあ」と何度も言っていた。最後の願いになってしまった。
 被災した工場は震災前に4代目社長を引き継いだ兄が12年11月に再建。家業と弘太郎さんの遺志を受け継いでいる。孫たちも10年で大きく成長した。弘太郎さんの名前を1字もらった伸一朗さんの次男弘之介君(10)は「僕もおじいちゃんみたいに立派になる」と誇らしげに言い回っている。
 震災後も毎年、お盆と正月は3家族が石巻に集まり、酒を片手に思い出話に花を咲かせる。にぎやかな笑い声を天国に届けることが一番の供養と信じている。
(山形総局・奥島ひかる)

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