あの日の悔い胸に伝承館長就任 元気仙沼市危機管理監・佐藤さん

伝承館の屋上で周辺の津波被害を説明する佐藤さん。中央奥には杉の下の築山が見える

 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館の館長に今春、元市危機管理監の佐藤健一さん(67)が就任した。市職員時代は長年、地域の防災力向上に取り組んだ。震災で多くが犠牲になったことに自責の念を抱き、打診された当初は固辞したが葛藤の末に引き受けた。「二度と悲劇を繰り返してはいけない」。そう自分に言い聞かせる。

 駆け出しの頃、技師として防潮堤整備に携わった。1992年には無人で24時間運用する「潮位・津波観測システム」を市が全国に先駆けて導入するのを主導した。

 ソフト対策が急務だと気付いたのは、市危機管理室補佐だった2003年5月。三陸南地震が発生し、市内で震度5強を観測した。津波はなかったが後日、群馬大などと共同で実施した市沿岸部の住民行動調査で衝撃を受けた。

 「津波が来ると思った」という回答が63・6%に上ったにもかかわらず、「避難した」は1・7%。当時は津波の有無の情報が迅速でなく、より早急な避難が求められていた。危機感が募った。

 すぐに地域ごとの防災マップ作りを始めた。避難場所や経路には住民の声を反映し、先祖の言い伝えや民家を通り抜ける近道などを盛り込んだ。住民主体の作業を通じて避難意識を高めるのが狙いだった。

 04年11月まで、沿岸部を中心に131行政区でそれぞれ2回以上、話し合いを重ねた。意識を浸透させるため、その後も定期開催を続けた。

 そして11年3月11日。津波は想定をはるかに超えた。市危機管理課長だった自分の元に次々と被害報告が舞い込む。「どうか助かってくれ」。住民の顔を思い浮かべながら祈った。

 市内の犠牲者は1300人超に上った。震災前、最も活発に防災マップ作りに取り組んだ杉の下地区も約3割の93人が犠牲になった。当時の宮城県の想定浸水域に含まれず、住民の希望で避難場所に指定した高台も津波にのまれた。

 「やってきたことは無意味だった」。12年7月、定年まで1年半を残して市役所を去った。

 10年間、負い目を抱いてきた。伝承館の館長就任依頼にも戸惑った。伝承館は杉の下地区の目の前にあり、自分は避難場所を認めた責任者だ。「申し訳が立たない」と断っても、市幹部に熱心に説得された。

 「あんたのおかげで、うちの地区は多くの人が助かったんだよ」。震災の数日後、行政区長に言われた言葉を思い出した。防災マップ作りの際、時に激しく議論を交わした相手だ。「悔やんでも何の役にも立たない。引き受けることが自分の責任かもしれない」。そう思えるようになった。

 自然災害の最新の知見を学び、国内外に発信する人材育成の拠点に-。伝承館を、そんな場所にできればと考える。「災害は想定を超えることがある。だが備えがあれば人命は救える。犠牲を防げなかったからこそ、伝え続ける」。もう迷いはない。

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