手作り弁当、海に手向ける 日本海中部地震から38年 男鹿、能代で追悼行事

花や手作り弁当を手向け、児童の冥福を祈る遺族ら=26日正午ごろ、男鹿市戸賀加茂青砂

 1983年の日本海中部地震から38年となった26日、津波などで83人が犠牲となった秋田県内では各地で追悼行事が行われた。記憶の風化が進む中、遺族らは「当時の元気な姿が忘れられない」「月日は関係ない」と犠牲者を悼み、祈りをささげた。
 男鹿市戸賀加茂青砂では遠足中に津波にのまれた旧合川南小(北秋田市)の児童13人の慰霊式が行われた。高台にある慰霊碑前に遺族ら約40人が参列。正法院(北秋田市)の清水道広(どうこう)住職の読経の中、静かに手を合わせ、冥福を祈った。
 地震発生時刻の午前11時59分には海岸に移動し、子どもたちが見つかった場所の近くで花や手作りのお弁当などを供えた。
 北秋田市の主婦福田恵美子さん(76)は4年生だった長女綾子さん=当時(9)=を亡くした。「好きだったおにぎりとハンバーグを毎年お弁当に詰めて持ってくる。38年たっても遠足を楽しみに出掛けていった姿が焼き付いている」と声を詰まらせた。
 慰霊碑を清掃している地元の老人クラブで最年長の鎌田キエさん(91)は「当時のことは今でも思い出すが、地区の高齢化によって風化してきている。これからも協力しながら続けていきたい」と話した。
 能代市では東北電力能代火力発電所建設で護岸工事中の作業員36人が津波の犠牲となった。同市の能代港で市主催の献花式があり、慰霊碑に遺族ら約30人が花を手向けた。
 秋田県三種町の無職佐藤錤子(しきこ)さん(80)は、夫の年夫さん=当時(47)=を亡くした。「夫は子煩悩で、ひ孫の笑顔を見るたびに夫がいたら優しく接しただろうなと思う。喪失感に月日は関係ない」としのんだ。
 日本海中部地震では秋田県のほか青森県で17人、北海道で4人が亡くなった。

地震発生時刻に合わせ、慰霊碑の前で黙とうする遺族ら=26日正午ごろ、能代市大森山

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