リーグ優勝を懸けた試合、田中の投球を支えたのは、野村監督が口酸っぱく指導した正確な制球力だった。どんな仕事においても、自分の原点をしっかり認識し、基礎的なことを大切にしていれば、苦しい時に道が開けてくる。
「ばか」。野村監督が田中の頭を左手で小突いた。2007年6月13日、中日戦の終了直後だった。
田中はプロ初の完封勝利を挙げ、チームの連敗を4で止めた。本人も「100点」と言う結果。しかし野村監督は勝利をつかみに行く最後の詰め方を容認できなかった。団体競技であってはならない独善的な態度が少しだけ見られたからだ。「プロセスを重視するからプロ選手」と言って、結果オーライを許さない野村監督らしい苦言だった。
問題の場面は4点リードの2死一、二塁。田中は、9番への代打中村公治(東北福祉大出)を2ストライク1ボールに追い込んだ。田中は鮮やかな奪三振で幕引きしようと、直球による力勝負を選択する。
「伸びのある真っすぐなら、当てられてもファウルになる」。18歳のやんちゃさゆえか。力を誇示したい「投手の美学」とも言える欲がにわかに出た。優先されるべき勝利最優先の意識が一瞬薄れたかのように。
いざ勝負。田中は捕手藤井彰人のサインに首を振り、直球を投げた。しかし上ずる。剛球は3球連続ボール。結果四球を与え、満塁に傷口を広げる。本塁打で同点の窮地、相手は上位打線になる。さすがに1番井端弘和には一転して変化球攻めを徹底。フォークボールで空振り三振に仕留め、何とか幕は下ろした。
後日、2人に取材した。田中は小突かれた意味を理解していた。「色気が出た。ばかなことをした」と反省。もう聞かないでくれと言いたげな顔だった。
逆に野村監督は思い出しては繰り返しぼやいた。「いい格好をするにしても、中身が伴っていない」。制球力を最重視する教えに反していたからだ。
「ど真ん中の150キロと外角低めの130キロ。どっちが長打にならないと思う?」。野村監督は哲学者のように投手によく問い掛けていた。
正解は後者。野村監督は、打者の手が届きにくい外角低めを突く正確な制球力こそが、最も必要とされる基礎技術と提唱した。それを独自に「原点能力」と呼んだ。「何より原点能力を磨け。ピンチで投げる球がなくなり困ったら、原点に帰ってくればいい。それが身を助ける」と口酸っぱく伝えた。
野村監督が考える理想の投手とは誰か。西鉄(現西武)の稲尾和久だ。正確無比の制球力で「歴代最高右腕」と絶賛した。
稲尾は1958年の日本シリーズで先発に救援に大車輪の活躍をした鉄腕。「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた。シーズン42勝など今では現実的に到達不可能な記録を誇る大投手だ。
野村監督は契約最終年の2009年、今後のチームへ財産を残そうと、伸び盛りの田中を叱咤(しった)した。「稲尾を目指せ」「大投手への道を歩め」。好投した時は「神様、仏様、田中様」と大げさに称賛し、拝んだ。
「田中様」は時を経て、当然の賛辞と響く。
13年9月26日、初のリーグ制覇を賭けた敵地西武戦。田中が、4―3で迎えた九回のマウンドに立った。稲尾のシーズン20連勝の記録をこの時点で22に更新。昭和の大投手に肩を並べる別格の存在として神格化されていた。
チームは前の2戦連続でサヨナラ負け。田中は嫌なムードを断ち切る期待を受け、09年以来となる救援登板を引き受けた。だが、いきなり1死二、三塁に陥る。
内野ゴロや外野フライでも同点になる。一打で逆転サヨナラ負けだ。優勝決定も、個人の大記録もついえる。栗山巧、浅村栄斗(現東北楽天)ら強打者が続く。暴投や捕逸の恐れから、低めへ落ちる変化球を続ける選択にもリスクがある。絶体絶命のピンチをどう切り抜けるか?
「きょうの直球なら押し切れる」。捕手の嶋基宏は開き直った。150キロ超の剛球での真っ向勝負することに決めた。6年前小突かれた試合と似た選択にも思える。しかしここからが、田中の真骨頂。あの時と比較にならないほど完璧な投球を見せる。
左打者の栗山には3球続けて外角いっぱいへの真っすぐ。最後は微動だにさせず見逃し三振に切って取った。さらに浅村へも一貫して直球で外角の際どいコースを突く。2ストライク2ボールの5球目、外角低めいっぱいの153キロに浅村のバットは空を切った。
田中は威力と正確さを兼備した高次元の原点能力を見せつけ、優勝の歓喜の瞬間へと導いた。語り草となった九回の投球。その数はくしくも野村監督の背番号と同じ19だった。
翌14年、田中は大リーグヤンキースに移籍し、19番を背負って野球道をまい進してきた。今季東北楽天に復帰した入団会見の言葉に原点回帰の思いがにじむ。「監督の教えで心に残るのは『投手は原点能力が大事』。胸に刻みながらやっていく」。次なる伝説へ、恩師の言葉が共にある。
(一関支局・金野正之=元東北楽天担当)
[のむら・かつや]京都府網野町出身(現京丹後市)。峰山高から1954年にテスト生で南海(現ソフトバンク)へ入団、65年に戦後初の三冠王に輝いた。73年には兼任監督としてリーグ制覇。77年途中に解任された後、ロッテ、西武で80年までプレーした。出場試合3017、通算本塁打数657は歴代2位。野球解説者を経て、90年ヤクルト監督に就任し、リーグ制覇4度、日本一3度と90年代に黄金時代を築いた。99年から阪神監督となるも3年連続最下位に沈み、沙知代夫人の不祥事もあって2001年オフに辞任。社会人シダックスの監督を経て、06年から東北楽天監督に。07年に初の最下位脱出し、09年には2位躍進で初のクライマックスシリーズ進出に導いた。監督通算1565勝1563敗76分けで、勝利数は歴代5位。20年2月11日、84歳で死去。
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