つなぐ(3)責務/経験生かし被災地支援

只越地区の住民に住宅再建の意向を聞く野崎さん(右)=2012年5月、気仙沼市(野崎さん提供)

 一通の礼状が、兵庫県知事の元に届いた。

 「あの日から、生活不安でぼうぜんとしていた私たちを支えてくれた」

 2015年10月、防災集団移転団地の完成祝いを済ませた宮城県気仙沼市唐桑町只越地区の住民たちがしたためた。

 東日本大震災で117戸のうち38戸が被災した地区は、ほとんどの住民が当初の意向通りに住宅再建を果たした。一戸建ての災害公営住宅を含め、移転団地の全23区画にも空きはない。

 団地が完成するまでの約4年間、毎月の会合に参加し続けたのが、神戸市のNPO法人神戸まちづくり研究所の理事長野崎隆一さん(77)たちだった。兵庫県の被災地支援事業で派遣された。

 世帯別に資金見通しや被災宅地の権利関係まで丁寧に聞き取って助言し、家族や地域の話し合いを大事にした。市との橋渡し役を担い、移転先に災害公営住宅の整備を掛け合うなどコミュニティー維持に力を注いだ。

 集団移転先で自宅を再建した亀谷一子さん(67)は「考えを押し付けず、主体性を引き出してくれた。住民の表情が次第に明るくなり、『神様みたい』と感謝する人もいた」と話す。

 野崎さんには苦い思い出がある。1995年の阪神大震災で1級建築士としてマンション再建に携わったが、建て替えか補修かで住人同士が最高裁まで争った。合意形成が不十分だった。

 成功も失敗も含めて専門家たちの当時の経験を住民主体のまちづくりに生かそうと、兵庫県の派遣事業は始まった。気仙沼市や石巻市など宮城県内を中心に、2015年度まで約40地区に延べ875人を送り込んだ。

 財源は阪神大震災で設けた復興基金を充てた。高齢者の見守りやコミュニティー再生のための民間人派遣費を含め、拠出額は約1億7000万円に上る。

 10年3月、学識経験者らでつくる兵庫県の復興フォローアップ委員会は「被災地の責務」として、経験と教訓を生かした被災地支援を県に提言していた。その1年後に東日本大震災が起きた。

 熊本地震や西日本豪雨の被災地でも、復興基金で一部の事業に取り組んだ。フォローアップ委員を務めた野崎さんは「被災地での活動は、自分たちの復興をもう一度検証する機会になった」と振り返る。

 兵庫県は19年度、ふるさと納税の寄付金を財源に新制度を設けた。大規模災害時に活動するボランティアに交通費や宿泊費を助成する全国初の事業だ。「ボランティア元年」とされる阪神大震災から四半世紀がたち、一層の参加を促す。

 県民有志らが、全国35万人分の署名を集めて国に制度化を求めていた。国は動かず、県が単独で踏み切った。19年10月の台風19号豪雨に初めて適用され、計53団体663人が長野県や宮城県で泥かきや片付けに励んだ。

 派遣関連事業を担う「ひょうごボランタリープラザ」(神戸市)の高橋守雄所長(72)は「兵庫が動かなければ全国は動かない。先導するのは、多くの人に助けられた私たちの使命」と言い切る。

 支援を受けた長野県は20年度、同様の助成制度を創設した。東北の被災地に何ができるのか。兵庫の先達たちが期待を寄せる。

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