「やっと人並みの生活ができる」
東京電力福島第1原発事故で全町避難を強いられた福島県富岡町から避難する斎藤秀雄(72)は2015年10月、福島県郡山市に整備された災害公営住宅、県営富田団地に妻、母と入居した。
高い倍率の抽選で当選し約8カ月、待ちに待った入居にほっと胸をなで下ろした。同時に「ここがついのすみかか」という思いも湧き上がった。まだまだ長い避難生活が続くと覚悟した。
あの日、富岡町夜の森の自宅から避難し、福島県田村市、宇都宮市、栃木県那須烏山市を転々とした。避難から7カ月後に移り住んだ郡山市富田町若宮前のプレハブ仮設住宅は部屋が狭かった。壁も薄く音は筒抜け。それでも富岡町をはじめ、川内村や双葉町からの避難者が多く住み、避難者同士の交流が盛んだった。
13年に着工した富田団地は集合住宅型。5階建てが3棟立ち並ぶ。仮設住宅よりも住み心地はいいが、住民同士の顔が見えづらくなり、引きこもりがちな人や孤立する人も出てきた。
新たなコミュニティー形成に向け16年4月、富田団地に自治会が設立された。全120戸は当時、富岡町から避難した住民で満室だった。自治会に入ったのは3分の2ほど。「ここには長く居るつもりはないから」という世帯も多かった。
団地内の集会所を利用したお茶会や、バス旅行、忘新年会を企画し住民同士の交流が始まった。近隣の住民も温かく迎え入れてくれた。団地住民と地域住民も合同で夏祭りなどをする中で、だんだん親しくなっていった。
活動が軌道に乗ってきた昨年、自治会存続の危機が訪れた。役員の担い手不足が原因だった。現在106世帯が暮らすが自治会加入は74世帯。高齢者が多く、役員のなり手がいない。
新型コロナウイルス禍も追い打ちをかけた。人が集まる活動はできなくなった。会長を務める斎藤は「これまで築いてきた地域とのつながりや交流の場をなくしたくない」と訴えた。なんとか自治会存続が決まったが、課題は多い。
独居の高齢者が多い富田団地では、ここ1年で7人が亡くなった。自宅で一人で倒れ、数日後に見つかるケースもあった。「緊急時の連絡先が分かれば、離れて暮らす家族もせめて最後に立ち会えたかもしれない」。やるせなさが募った。県は個人情報保護の観点から、誰がどこに住んでいるか教えてくれない。斎藤は今年3月、住民に任意で緊急連絡先の提出を求めた。
「もう『避難者』というよりはここの『住民』という意識が強い。地域の一員として自立しなければならない」。その思いが斎藤を駆り立てる。
生まれ育った夜の森の自宅は、いまだ帰還困難区域にある。昨年7月、屋根が崩れて朽ち果てた自宅を解体。周りの家の解体も進み、一面更地となった。
昨年8月には、母が96歳で亡くなった。亡き父と母は夜の森の墓に眠る。墓参りに行くたびに「俺たちはこの墓には入れないから」と唱える。
古里に戻れない寂しさを感じずにはいられないが、振り返ってばかりもいられない。「できることを、できるときに、できるところでやるしかない」。そう自分に言い聞かせる。
(敬称略)
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から2021年3月で10年。巨大津波で甚大な被害を受けた3県の中で、第1原発が立地する福島は復興の遅れが目立ち、住民は今なお風評との闘いを強いられている。被災者や当事者の記憶から複合被災地・福島の10年の足跡を振り返り、あるべき復興の姿を展望する。
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