「検証・郡市政 あの問題は今」(上)「広瀬区」構想 合併時の約束先送り

 任期満了に伴う仙台市長選(8月1日投開票)は、18日の告示まで1週間を切った。新型コロナウイルス対策や「コロナ後」のまちづくりなどが争点として想定されるが、他にも有権者が「あの問題は?」と気に掛ける市政課題は少なくない。4年に1度の選択機会を前に「広瀬区」構想、パンダ誘致、市地下鉄南北線延伸の現在地を探った。

分区の条件満たす

 JR仙台駅前から山形県境まで市内最大の面積を抱え、30万を超える人口が集積する青葉区。34年前、合併で市域に加わった西部の旧宮城町地区で、分区により「広瀬区」を創設する構想が再燃しつつある。

 今年2月、旧宮城町の一部住民は「青葉区分区期成協議会」を結成。市に構想実現を申し入れるなど活発に動いている。石附成二会長(80)は「市は合併時の約束を果たしていない」と積年の思いを吐露する。

 1987年の合併時、市は政令市移行を前提に「宮城町の区域は地域行政の充実を図るため、区の設置に向けた条件整備を行い、その実現に努力する」と合併協定書に明記した。

 地区人口5万以上が分区の条件。合併後、吉成、栗生、愛子地区などで宅地開発が進み、旧宮城町を管轄する宮城総合支所の人口は96年に5万を突破した。

 当時の藤井黎市長は98年、市行政区画審議会に区割りの見直しを諮問した。だが、審議会は2001年に「青葉区の人口が30万を超え、さらに伸び続ける場合に再検討すべきだ」と答申し、分区は先送りされた。

 12年12月、青葉区の人口は審議会が条件とした30万を突破し、宮城総合支所管内も7万を超えた。ところが、当時の奥山恵美子市長は「東日本大震災後の人口増が継続するかどうか見極める」として、審議会に諮ることさえしなかった。

 現在の郡和子市長(64)も分区には否定的。17年10月の定例記者会見で「今は30万を超える行政区も(全国には)ある。人口が減少する中(分区を)検討する段階にない」と語った。

過疎化への危機感

 合併から30年余り。住宅団地が次々と形成され、旧宮城町の人口増をけん引する一方、住民の帰属意識は年々低下する。世代交代も進み「広瀬区」の境界はぼやけているのが実情だ。

 それでも、石附会長らが動くのは中山間地の過疎化への危機感が大きい。作並、大倉両小は20年3月に閉校。統合先の上愛子小も学区内の高齢化率が43・8%(20年)と極めて高い。

 石附会長は「旧宮城町も西部は交通、産業、生活環境の基盤整備が進まず、開発はもっぱら愛子地区に偏る」と嘆き、青葉区の「周縁」からの脱却を訴える。

 作並、新川地区は温泉旅館やレジャー施設の閉鎖も相次ぐ。作並振興協会の庄子勝彦会長(74)は「愛子以西は減るものはあれど、増えるものはない」と落胆する。山形県と連携した仙山交流市や雪祭りで活性化を図るものの「人手と資金が乏しく、他のアイデアを実現できない」と明かす。

 市は本年度、宮城総合支所に地域活性化推進室を新設。地元団体と地域資源の掘り起こしに取り組む。

 市区政課の黒川雅之課長は「分区することで行政経費が膨らみ、住民負担が増えないとも限らない。総合支所が区役所と遜色なく住民サービスを提供し、地域づくりで連携できるよう努めたい」と理解を求める。
(報道部・古賀佑美)

総合支所の敷地内に残る旧宮城町役場の石碑。分区による「広瀬区」構想が再燃しつつある=仙台市青葉区
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