戦没作曲家がのこしたバイオリン、被爆ピアノと平和奏でる 山形で10月コンサート

紺野陽吉
昨年10月に山形市でのコンサートで披露された被爆ピアノ(菅野さん提供)
紺野が愛用したバイオリン(あゆーむ提供)

 太平洋戦争直後に旧満州(現中国東北部)で戦病死した山形県白鷹町出身の作曲家紺野陽吉(1913~45年)がのこした楽器が10月5日、広島市で原爆の被害を受けた「被爆(ひばく)ピアノ」と共に町内で開くコンサートで演奏される。関係者は「若い世代に平和を伝えたいとの思いが合致した」と話す。

 紺野は旧制長井中(現長井高)卒業後に上京し、音楽の道に進んだとされたが、詳細は分かっていなかった。95年、作曲家清瀬保二(00~81年)の資料の中から紺野の手書きの3曲の楽譜が見つかった。素朴で郷愁に満ちた旋律が特徴の遺作は各地で演奏会が開催されたり、CDが発売されたりした。現在も紺野に注目が集まり、才能が評価されている。

 演奏会では町内にある紺野の生家跡で2018年に見つかったバイオリンと、本人が所有したとみられ、今年2月ごろに修復を終えたギターで曲を奏でる。演目には紺野の遺作「弦楽二重奏曲」の一部が組み込まれる。

 広島市の調律師矢川光則さんが管理する被爆ピアノのうち、白鷹町に運ぶのは爆心地から1・8キロ、2・6キロで被ばくした2台。紺野の楽器とはセッションせず、それぞれが別の楽曲を演奏する。

 被爆ピアノの演奏会運営に携わる山形市金井中校長の菅野徳明さん(59)は「被ばく者らの高齢化で戦争経験を口述で伝えるのは難しくなっている。ピアノやバイオリンを媒介として、戦争を感じ取ってもらいたい」と話す。

 演奏会は、会場の白鷹町文化交流センターあゆーむの関係者らが主催。同館の橋本淳一館長は「戦争の悲劇は個人の悲劇の集積だ。失われた才能を通じ、個人の希望を断ち切る戦争について考えてもらいたい」と語る。

 参加は主に町民が対象で無料。山形市のバイオリニストらが演奏を手掛ける。連絡先はあゆーむ0238(85)9071。

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