つつが虫病 東北に伝わる疫病退散の祈り

山形県白鷹町で採取されたヒゲツツガムシの顕微鏡写真(山形県衛生研究所提供)

 感染症「つつが虫病」の患者が宮城県で確認され、野外での活動に気を付けなくてはいけない季節だ。東北の河川流域では昔から、この感染症に苦しめられてきた。夏になると、子どもや農作業する農民らが高熱に苦しみ、命を落とした。河川敷や草むらに生息するツツガムシがもたらす病だったが、長く、原因は不明だった。住民らは祠(ほこら)や地蔵を建て、この疫病の退散を願い、祈りをささげた。東北に伝わる「つつが虫病」にまつわる話を紹介する。
(生活文化部・古関良行)

夏の農作業は命懸け

 かつて多くの人が命を落とす原因となったツツガムシは、いわゆるダニの一種だ。ツツガムシ科の節足動物で、漢字で「恙虫」と書く。つつが虫病は草むらなどで、病原体(リケッチア)を持つツツガムシの幼虫に吸着されると感染する。

 作家の久米正雄(1891~1952年)が長編小説「蛍草」で、つつが虫病の治療薬発見を目指す若手医師の物語を書いている。夏目漱石の長女律子との恋に破れ、失意の底にあったとき、菊池寛の勧めで1918(大正7)年、「時事新報」に連載して評判となった恋愛小説である。

 「やがて、野村たちを乗せた汽車は、ようやく天童の停車場へ着いた。彼らは、そこで汽車を降りて、そこから更に二里の道を北へ有毒地の溝延村まで行かなければならない。

 山形県西村山郡溝延村は、最上川の中流に位し、支流寒河江川の注ぐ処(ところ)にあって磧(かわら)つづきの村落である。

 恙虫病の発祥地といえば、新潟県下の信濃川、阿賀野川、魚沼川の沿岸と秋田県下にある西馬音内川、雄物川、皆瀬川等の水辺及びこの山形県における最上川畔とである」

 久米正雄がそう書くように、つつが虫病は以前、日本海側の秋田、山形、新潟などで発生する風土病とされた。戦後は地域性が薄れ、各地で見られるようになる。ツツガムシの幼虫に刺されると、1週間ほどして高熱を発し、リンパ節がはれる。ひどくなると意識が混濁し、死に至る場合もある。農民にとって、夏の農作業はまさに命懸けだった。

 久米正雄が「有毒地」と記すように、病の発生地は人々に恐れられた。山形県白鷹町には「病河原」という呼び名の地があった。その河原に行けば病気になるからだろう。また新潟県の信濃川流域には別称「やもめ村」という集落があった。約40戸の小さな集落だったが、男が皆、命を奪われたため「やもめ村」になったという。

 つつが虫病の「つつが」はもともと災難、病を意味する。「病気を起こす虫」として明治期、医学者が「恙虫」という語を使い始めたとされる。

 「病気を起こす虫」の呼び名は地域によってさまざまだ。秋田県では古くから「ケダニ」と呼んでいる。江戸後期の紀行家、菅江真澄が1814(文化11)年に著した『雪の出羽(いでわ)路雄勝郡』にケダニが登場する。現在の湯沢市の記述で「毛螫(けだに)の螫(さし)たるときは身におぼゆることもなう、かくて発熱して…」とある。ただし、ケダニは毛蝨、毛虱、沙虱、計太仁など当て字は多い。

 菅江真澄はケダニに深い関心を寄せていたらしい。「この虫越後国にもあり、名を島虫またつつがの虫という也」とも記述している。新潟県では「島虫」のほか、「つつがの虫」とも呼んでいたことが分かる。また「アカムシ」という呼称もよく使われた。

「ケダニ地蔵」を建立

 この感染症に対する有効な処方はなかなか見つからず、人々は長らく、疫病退散を祈るほか手だてがなかった。

 秋田県の県南、湯沢市や横手市などの雄物川流域には今でも、「ケダニ地蔵」や「ケダニ神社」「ケダニのお堂っこ」などが多く残る。この病にかからぬよう、ケダニが悪さをしないよう、庶民が祈って建立した。とりわけ、つつが虫病の被害が大きかった湯沢市の弁天地区には大きな地蔵堂が立つ。地域にはこんな話が残っている。

 ある年、出羽の湯殿山からつかわされた鉄門海上人が、この悪病を調伏しようとした。上人は地蔵尊のお札(ふだ)を3000枚作り、住民に告げた。「毎年この札を流すべし。この札がなくなるときに悪病も退散するだろう」。以来、村人たちは毎年、地蔵尊の縁日にお札を川に流して疫病退散を祈願した。いつの頃からか、このお札を拾った者だけが悪病から免れるとされ、この日、人々は先を争って川に飛び込み、お札拾いの争奪になった――。

 ケダニ地蔵は今も地区で祭られている。その弁天地区と接する湯沢市柳田の八幡神社境内には、「虱(ケダニ)大権現」の石碑がある。これも鉄門海上人がつつが虫病の退散を祈り、建立したと伝わる。鉄門海上人はさまざまな慈善事業を行い、湯殿山で1829(文政12)年、断食によってミイラ(即身仏)になった実在の人物だ。

 鉄門海上人を秋田に派遣した湯殿山、それに月山と羽黒山からなる出羽三山は、山伏が修行する修験の山として知られる。ここにもツツガムシにまつわる伝説がある。

 出羽三山の開祖とされる蜂子皇子(はちこのおうじ)は、民衆を苦しめて悪魔とされる「病気を起こす虫」に火を放って退治したという。その故事にちなみ、大みそかの日に羽黒山頂で行われるのが松例祭。悪魔に擬してツツガムシをかたどった大松明(たいまつ)を作り、焼き捨てる伝統行事だ。

 毎夏多くの犠牲者を出し、人々が退散を祈るしかなかったつつが虫病。その治療法が確立したのは、医学者の奮闘の末、やっと戦後になってからだった。

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