前々回取り上げた映画「ドライブ・マイ・カー」(浜口竜介監督)について、手話のできる知人がSNS上でコメントしているのを見た。紙面の都合上詳しくは書けないが、作中の手話のぎこちなさ、物語のなかでのその扱われ方、そして、上映において手話を使う人々への配慮が足りないのではないか、結果、手話という文化が作品の演出だけに使われてしまっているのではないかという問題提起と受け取れた。手話を解さない私は、そのことにまったく気づかず素直に感動していたのだけれども、映画とは画面の隅々まで作り手の意思によって作られたものであり、一方で受け手も自分の知識や経験を無意識のうちに総動員して見ているものだから、自分の無知を恥じ入るとともに、この問い掛けを流してはおけないと感じた。
たとえば、現在公開中の「MINAMATA」(アンドリュー・レヴィタス監督)は、ある写真家の物語として優れた作品だった。ただ、子どものころ学校の授業や、大人になってから見た土本典昭監督のドキュメンタリーを通してとはいえ、水俣病とそれが起きた漁村の風景について知る者としては、違和感を抱く場面もあった。
おおよそ外国映画において日本のことが描かれる際、日本に長く住む人にとって何らかの違和感を持つことは少なくない。日本の風景や文化に親しんでいる我々は、その場面を見る目の解像度が高くなるからと思われる。わずかな違いも気づくと同時に、自分たちのイメージが都合良く使われることにも敏感になる。とすれば、先の「ドライブ・マイ・カー」も、もし私が手話を使う人間だったら、今とは違う感想を持ったかもしれない。あるいは、その違和感を含めても同じく高く評価したかもしれない。
文学などほかの表現においても、時代の変化などとともに評価が変わったり、時には修正を施されたりするものがある。あらゆる作品はひとたび世に出れば、さまざまな人の目や耳に触れるものだから、すべての受け手に堪えうる配慮を事前にするのは無理だし、一点の不備をもってむやみに作品を断罪すべきとも思わない。では何ができるのかというと、これがなかなか難しい。まずは作品をめぐって率直に語り合うことだろうか。
(せんだいメディアテーク学芸員)
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