<まちかどエッセー・津田公子>お後はどうかな

 つだ・きみこさん 川柳作家。石巻市出身。日本大卒。元中学教諭(主に仙台市、石巻管内)。川柳宮城野社同人、県川柳連盟理事も務める。県芸術祭川柳部門文芸賞(県知事賞)を受賞。河北新報創刊100周年記念河北文学賞川柳部門佳作。句集に「風の中」。東松島市在住。

 今夕は落語に関して2題。
 大阪の放送局の女性アナウンサー、Mさんとは震災関連で川柳を扱ったラジオ番組出演がご縁で知り合いになった。震災の取材で福島にも度々訪れていた。退職後も東北各地で取材を続けている。その折に2度ほど、わが家に泊まっていった。2回目の宿泊の朝、お礼に目下修業中の落語を披露したいとおっしゃる。
 急なことだったが、ご近所の方に電話で呼び掛け、観客として集まっていただいた。高座はリビングの大テーブル。厚めの座布団をしつらえた。浴衣に着替えたMさん。めくりも出囃子(でばやし)もないけれど、手ぬぐい、扇子を携えて堂々の入場となる。
 演目は「堪忍袋」。彼女の高座名は、愉かい亭びわこ。師匠は、桂かい枝さん。上方落語である。
 座が和み、笑いが出始めたその時、のこのことリビングに入ってきたのはわが家の猫。そのままひょいとテーブルに飛び乗り、座布団の前に寝転んだ。噺(はなし)は佳境、猫を制止することはできない。びわこさんの熱演は続く。猫は目を閉じて寝てしまった。どちらもおかしくて、笑いは噺が終わるまで渦を巻いていた。
 若い落語ファンの方には六代目三遊亭圓生は、なじみが少ないかも知れない。古典落語会の大御所の一人である。
 私はこの方と2度お話をする機会があった。初めは高校訪問の落語鑑賞会。口演の後で、新聞部部員としてインタビューをさせていただいた。
 2度目はその後10年ほどして、石巻市での公演の時だった。関係者のご厚意で楽屋に伺うことができた。師匠から近況を尋ねられたので、結婚して仙台に住んでいると答えると「何で結婚なんかしたんです」と、長屋のかみさんを諭す大家さんの口調。端正なお顔は笑っておられた。その隣には、同行の五代目柳家小さん師匠がいらっしゃった。
 それにしても当時の落語界を席巻していた大御所が、一介の地方のファンに機嫌よく応じて下さったサービス精神に恐れ入る。
 圓生師匠が亡くなったのは1979年、誕生日と同じ9月3日。その逝去を報じた新聞の見出しは、同じ時に死んだ上野動物園のパンダ「ランラン」の方が大きかった。
<マンガですか いいえ本当のことらしい>
(川柳作家)

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まちかどエッセー

 仙台・宮城在住の執筆者が、それぞれの活動や暮らしで感じたことをつづります。

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