<今こそノムさんの教え(21)>「ひらいてせまる」

 セクシュアル、モラル、アカデミック、マタニティー、カスタマー、アルコール、スメル…。他者と同じ空気を吸っている限り、あらゆる状況でハラスメントが意識される時代だ。いかに周囲への配慮を忘れず、もめ事を未然に防ぐかも重視される。トラブルは相手への理解や敬意が足りないことから起こり、双方が譲り合えずに深刻化する場合が多い。そこで今回の語録は自分から相手に歩み寄る大切さを説く「ひらいてせまる」。ハラスメントを容認する内容ではありません、念のため。

CS進出を決め、祝勝会で野村監督(右)と乾杯する東北楽天ナイン=2009年10月3日、Kスタ宮城(当時)

 日本ハム・中田翔が8月の試合で同僚選手を暴行した事件が問題になった。中田が巨人へ放出される形で決着した。令和の今も暴力が絶えないプロ野球界に時代錯誤を感じた人はいるだろう。昭和の時代には「鉄拳制裁」の名の下、暴力を伴う軍隊的指導があった。試合で失敗を犯した選手が対象になった。

 「お前、野球をなめているだろう!」

 試合中のベンチ裏に大きな声が響いた。巨体のベテラン野手が若手投手の胸ぐらをつかんで迫る。漫画「ドラえもん」でジャイアンがのび太を脅すのと同じ構図。

 「なめていません!」。若手投手は必死に反論。壁に押し付けられた衝撃で端正な顔がゆがみ、コンタクトレンズまで飛び出した。

 2007年、東北楽天で実際にあった一幕。火種は、若手投手がゴロの連係守備で一塁ベースカバーをしなかったことだった。

 若手は先発定着の当落線上で、微妙な結果が続いていた。投球に苦しむあまり、守備への注意が散漫になった。一方、首脳陣と選手の仲介役として存在感があったベテラン。「鉄拳」を受けて育ったファイターな分、チーム最優先の意識が出過ぎた。

 幸いけがはなく、争点解決とともにしこりも残らず終わった。ベテランの指導の範囲に収まった。ただ世が世なら暴力を伴うパワハラとみなされかねなかった。

 野村監督も時にトラブルに見舞われた。主に外国人選手との間で。言葉と文化的な違いが障害になった。1999年、野村阪神1年目の本拠地開幕戦で起きた「リベラ造反騒動」。

 同点の延長十回1死満塁。満場の虎ファンに本拠地初勝利を見せるには、どうしてもしのぎたい局面だ。わらにもすがる思いの野村監督。前年27セーブの守護神リベラを投入した。

 助っ人にとって予想外の緊急登板だった。ブルペンで5球の慣らしだけでマウンドへ。当然、準備不足を露呈した。走者一掃の痛打でリードを許す。

 ベンチへ戻ったリベラは野村監督に怒りをぶつけた。「5球しか準備していないんだぞ」。公衆の面前での批判は止まらず、放送禁止用語まで吐いてロッカールームへと引き上げた。

 リベラはリード回、無走者からの登板が通例。抑え役とは言ってもセーブが付く場面で逃げ切りを図るクローザーだった。「ベンチの指示があるまで準備しないのがアメリカンスタイル」。言い分は一理ある。だが態度が悪すぎた。

 野村監督はピンチを火消しする旧来のストッパーとして起用した。柔軟に対応するだろうと思っていた。「試合展開を見て準備してくれていると思った」「契約内容とかあるだろうが、(例外的登板でも)意気に感じるとかないのか」

 結論、野村監督の落ち度は否めなかった。事前の一言さえあれば、行き違いは避けられたからだ。

 野村監督は面と向かうコミュニケーション以前に、あいさつが不得意だった。「あいさつ回りとかおべっかを使うようで嫌」とも明かした。だから自分への戒めの意味も込め、周囲にこう諭した。

 「『挨拶(あいさつ)』の漢字はそれぞれ『ひらく』『せまる』と読む。心を開いて相手と距離を縮めることが大事。だから『ひらいてせまる』に励もう」

野村監督に謝罪後、記者の質問に応じるリンデン=2009年10月19日、Kスタ宮城(当時)

 相互理解の大切さを反面教師的に示す事件もあった。誤解の連鎖で泥沼化した2009年秋の「リンデン事件」。闘志あふれるプレースタイルの助っ人が起こした〝場外乱闘〟だ。

 10月10日の敗色濃厚の試合終盤、代打に立ったリンデンは怒り心頭だった。「アリガトウ」。試合後会見中の野村監督に公然と嫌みを言った。休養目的で先発を外れ、接戦以外は途中出場しないはずだった。だが6点を追う場面での代打。一打で6点取れという意味と思い込み、首脳陣を批判した。「クレージー」と連呼して。

 「俺への冒涜(ぼうとく)だ」。野村監督は不快感をあらわにした。「人間失格」とも厳しく断じた。クライマックスシリーズ(CS)第1ステージ開幕直前にもかかわらず、主力のリンデンを2軍へ落とした。

 「ミスコミュニケーションがあった」。13日、リンデンは監督室へ謝罪訪問する。だがTシャツ、短パンという姿。「全然反省していないのか」と監督を逆なでする。リンデンも監督が訓話のつもりで発した「育ち」を指摘する言葉に反発。家族への侮辱と受け止め、再び態度を硬化した。

 修復不可能かと思われた頃、リンデンが行動に出た。第2ステージ開始を2日後に控えた19日、コーチを介して再び謝罪の機会を願い出た。

 再びの対面。リンデンがきちんとスーツ姿で誠意を示したことで、ようやく和解の時を迎える。「自分の言動を反省している。事の大きさを痛感している」。リンデンは素直に謝った。

 野村監督も紳士的に応えた。「言葉の壁や文化の違いはあるが、チームスポーツなので、次のステージに向け、みんなと頑張ろう」。2人はがっちり握手して心を交わした。

 翌日、練習に復帰したリンデン。野村監督の前で足を止め、じっと視線を送った後、笑顔で言った。「オハヨウゴザイマス」。監督もニコッと笑い返して「グッモーニン」。あのドタバタ劇はどこへやら。「ひらいてせまる」を地で行く2人だった。
(一関支局・金野正之=元東北楽天担当)

[のむら・かつや]京都府網野町出身(現京丹後市)。峰山高から1954年にテスト生で南海(現ソフトバンク)へ入団、65年に戦後初の三冠王に輝いた。73年には兼任監督としてリーグ制覇。77年途中に解任された後、ロッテ、西武で80年までプレーした。出場試合3017、通算本塁打数657は歴代2位。野球解説者を経て、90年ヤクルト監督に就任し、リーグ制覇4度、日本一3度と90年代に黄金時代を築いた。99年から阪神監督となるも3年連続最下位に沈み、沙知代夫人の不祥事もあって2001年オフに辞任。社会人シダックスの監督を経て、06年から東北楽天監督に。07年に初の最下位脱出し、09年には2位躍進で初のクライマックスシリーズ進出に導いた。監督通算1565勝1563敗76分けで、勝利数は歴代5位。20年2月11日、84歳で死去。

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