<今こそノムさんの教え(19)>「常識を疑え」

 「ゲームは1日1時間まで」。昭和末期、テレビゲーム機の高橋名人は子どもたちにくぎを刺した。「勉強時間が減る」「まともな大人になれない」と保護者が心配したから。それが今やどこもかしこもスマートフォンでゲーム。ゲーム競技「eスポーツ」は世界的だし、億単位で稼ぐトップ選手はゲーム愛が余って時限を無視した人たちだろう。そこで今回の語録「常識を疑え」。ゲームも悪いばかりじゃない。ちなみに筆者も往年の名作野球ゲーム「ファミスタ」に熱中し過ぎて今に至る。

CS進出を決め、観客に帽子を取ってあいさつする東北楽天・野村監督(右)=2009年10月3日、Kスタ宮城(当時)

 野村監督は東北楽天の番記者たちに配球について問い掛けた。投手が2ナッシングに追い込んだ後、3球勝負するかどうか。「1球ボールを外すのを見掛けるだろう。あれ何でか分かるか」。投手経験のある記者が答えた。「ボールを振ってくれればもうけもの。わざわざストライクを投げてリスクを背負う理由がないですし」

 「それはそうだが、根本的な理由がある」。監督は不敵な笑みを浮かべて続ける。「黄金時代の巨人で罰則があったからなんだ。圧倒的有利の2ナッシングから打たれたらいけない、という。だから批判される余地を残さないようにわざとボールを1球投げた。それが球界に広まった」

 言いたかったのは「無駄なボール球はいらない。3球勝負で打ち取れるなら、その方がいい。何でもそうだが『常識は疑え』ということだ」。

 打者の場合はどうか。

 岩隈久志が21勝してタイトルをほぼ総なめにした2008年。そのエースが先発した夏のロッテ戦の話。8連勝中と絶好調。防御率も2・07。打線が3点取れば勝算が立つ展開だった。

 焦点は二回、先頭から内野安打、四球、右前打と畳み掛け、エース級渡辺俊介から1点先制した後だ。無死二、三塁、打席の藤井彰人はいきなり3ボール。四球目前の圧倒的優位に立った。ここで野村監督はあるサインを出すのだが…。

 さて読者の皆さんに質問。次の球、あなたならどう対応します?
 たぶん、大多数の人は常識的に「待つ」でしょう。

 何より四球に王手の状況だ。仮にストライクを取られても、まだ有利で四球の可能性がある1ストライク3ボール。張り切って打って凡退すれば「根拠は何だ」とベンチで問い詰められるだろう。だから「待つ」は多数派になる。

 しかし野村監督は飛んで火に入る夏の虫は逃がさないタイプ。

 「打て」

 積極的に欲を出した。セオリーに対して例外的な戦術かもしれない。確固たる理由があった。カウント的にも配球的にも好球必打できる公算が限りなく高かった。「3ボールだ。四球を嫌がる相手が確実にストライクを投げてくる。球種は無難に真っすぐだろう。疑う余地のない『見え見えの直球』を打って、ヒーローになるチャンス」

 座学で教わっているとはいえ、試合で突然のゴーサイン。藤井は戸惑った。そうこうしているうちに直球が真ん中へ。願ってもないチャンスボールを見逃してしまう。最後は犠飛にもならない浅い飛球で凡退。結局この回1点止まり。藤井はうつむいて「誰もが2、3点は入ると思う場面だったが…。積極的な姿勢が足りなかった」。

 結局岩隈を援護できず逆転負け。特に渡辺は05年開幕2戦目、0―26の歴史的大敗をした相手。完全試合に準ずる投球をされた。まだ残る苦手意識を振り払う狙いもあったようだった。当然試合後の野村監督はおかんむり。「野球やるのが嫌になる。言うこと聞かないんだもん。打てと言っているのに見逃して。あの1球で負けだよ」

CS進出を決め、ヒーローインタビューのお立ち台に集まる先発選手=2009年10月3日、Kスタ宮城(当時)

 野村監督は常に「臨機応変さ」を求めた。試合での直感や判断に基づく確信があれば、事前のプランや定石にこだわらず独断で結果を追い求めることさえ許した。野村ヤクルトはそういう試合巧者が育ち、黄金時代を迎えた(第13回「覚悟に勝る決断なし」参照)。

 しかし当時の東北楽天は新興球団。未来予知に近い試合勘がある野村監督の思考スピードに応じて、選手が当意即妙で頭を切り替えられるものではない。「上司の指示に振り回される」と感じる若手会社員のような悩みを、筆者は当時の選手から何度も聞いた。「どうしたらいいんだろうねえ」と答えるしかなかった。

 「固執すべきものは最終成果。状況が変わってその最終成果を手にしようとしたら、何ページにもわたる計画を捨てなければいけないのであれば、ためらいなく捨ててしまいなさい」

 これは衣料品店ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正会長の言葉。社員教育用に経営理念をまとめた文書を書籍化した「経営者になるためのノート」で述べている。日本を代表する経営者までもが、ノムさんと全く同じく「臨機応変さ」が大事だと。

 「遠山葛西スペシャル」をご記憶だろうか。阪神時代に野村監督が左打者に左腕の遠山奨志、右打者に右腕の葛西稔(宮城・東北高―法大出)を交互に投げさせた時の呼び名だ。特に遠山は松井秀喜(元巨人など)を徹底的に封じ、「左対左」の強みを注目させた。

 その「型」を自ら破り、選手たちも応えたのが、2009年10月3日。東北楽天が初のクライマックスシリーズ(CS)進出を決めた日だ。

 相手西武の先発は過去16戦で0勝9敗と大の苦手の左腕帆足和幸。従来は右打者中心の打線を組んで結果が出なかった。野村監督は「どうせ打てないなら開き直ってやる」と発想を転換。左打者6人を送り出す。すると一回に3番鉄平が内角高めの直球を巧打で先制3ランに。これで打線は勢いづいて五回途中8得点で帆足をKO。最後は14得点で大勝した。

 試合後の会見、野村監督は「作戦ずばり。帆足に限っては左の方が打ちやすいかもしれないと思ったんだ」としてやったりの表情。「バンザーイ、バンザーイ、はい、皆さんもバンザーイ」。歴史的勝利を珍しくもろ手を挙げて喜んだ。
(一関支局・金野正之=元東北楽天担当)

[のむら・かつや]京都府網野町出身(現京丹後市)。峰山高から1954年にテスト生で南海(現ソフトバンク)へ入団、65年に戦後初の三冠王に輝いた。73年には兼任監督としてリーグ制覇。77年途中に解任された後、ロッテ、西武で80年までプレーした。出場試合3017、通算本塁打数657は歴代2位。野球解説者を経て、90年ヤクルト監督に就任し、リーグ制覇4度、日本一3度と90年代に黄金時代を築いた。99年から阪神監督となるも3年連続最下位に沈み、沙知代夫人の不祥事もあって2001年オフに辞任。社会人シダックスの監督を経て、06年から東北楽天監督に。07年に初の最下位脱出し、09年には2位躍進で初のクライマックスシリーズ進出に導いた。監督通算1565勝1563敗76分けで、勝利数は歴代5位。20年2月11日、84歳で死去。

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